小学校校庭の芝生化について


 ゆとり教育のもとで学ぶ子供たち。学力低下への不安が叫ばれているが、体力の低下は果たして大丈夫なのであろうか。塾通いに追われ、家の中で遊ぶことが増えた昨今、子供たちが自由に身体を動かして、体力を育む環境を整備しなければならない。

■校庭の芝生化が叫ばれる背景
○環境問題・都市問題・・・ 都市部では排気ガス等による公害が深刻な問題となっている。これら有毒な化学物質を削減するために、酸素をつくりだす緑を増やすことが考えられた。そこで注目されたのが学校の校庭である。

○サッカーの発展・・・ 芝生化の推進は、サッカーに限らず地域に根ざしたスポーツクラブ作りにつながって行くことが考えられた。


■効果
○杉並区立和泉小学校の場合
 11月26日火曜日、午前10時半。和泉小の児童たちが一人また一人と校庭へ飛び出してくる。休み時間の始まりだ。

 どの子も走る、走る。多くの子供が芝生の校庭になってから、「足がはやくなった気がする」と言うのだそうだ。芝生は適度に柔らかいので、足に負担をかけない。それゆえクッションの役割を果たし、どたばたと走ってもその音が吸収されるのである。

 和泉小学校では校庭を芝生にしてから、休み時間を教室で過ごす児童が明らかに減ったのだという。11月という寒い時期にもかかわらず、裸足の子供が見受けられる。靴を校舎の端に揃えてから芝生面に入る姿が可愛らしい。誰かがそうするように教えたわけではなく、「自分たちで育て管理している芝なので、傷つけたくないのでしょう」とは教頭先生のお言葉である。

 芝生は生き物である。季節によって発育の速度や、必要な手入れは異なる。運動会のように多くの人が踏みしめた後には養生させなければならないし、手入れを怠れば瞬く間に枯れてしまう。児童は学年ごとに役割分担をして管理を行っている。「朝の環境タイム」では芝刈りをし、芝に寝転がってそこに生息する生物を観察したりしながら、生き物を大切にする心を育んでいる。自分たちで育てた芝なので、むしったり意図的に踏み荒らしたりする児童はまずいないそうだ。このような環境からは精神的なゆとり・情緒的安定も生まれるであろう。

 また、同校では家庭・地域・学校が一体となって芝生の管理を行っている。芝の専門化であるグリーンキーパーの助言のもとで芝刈りや種まきを行うのだ。一回の所要時間はわずかに30分。それでも芝刈りが「やみつき」になる父兄がいるのだという。

 芝生の効果は教育や健康保全上のものだけに留まらない。今年の夏、和泉小学校庭の地面と隣接する中学校の地面には10度もの温度差が生じた。芝は太陽光の熱を吸収して温度を下げるのだ。また、芝は照り返しを防止することもできる。そして、砂のように風によって舞い上がることもないので、防塵対策にもなる。


■弊害
○費用・・・ 文部科学省の屋外教育環境整備事業により、費用の三分の一までを国が補助することができる(公立学校施設整備費国庫補助要項より)。全国で芝生化された学校は既に300を超える。しかし、工事費以外にも維持管理には水道代、肥料代など、少なからぬ支出が必要である。

○維持・管理・・・ 芝は生物である。季節や天気とは関係なく常に手入れを行わなければならない。過去には手入れの煩雑さから芝生から土に戻した学校も見られる。


■今後の課題 
○費用・・・ 助成金を増やすことはもちろん、小学校の校庭に適した芝生の研究・開発が進めば、費用や維持管理の負担も軽減されるであろう。また文部科学省のみならず環境省や農林水産省、厚生労働省などからの多角的研究も進めるべきである。

○芝生の専門家○道具・知識の共有・・・ 土壌に適した芝生とその造成方法の選定が維持管理の負担を左右するので、専門家の意見が不可欠となる。また、高価な用具も複数の小学校で共有すればコストを削減できる。

○地域の協力・・・ 大人も一緒に芝を育てていくという心構えが必要である。 また、校庭を使用できない期間が生じてしまうこともあるが、これは体育館を有効に利用したり、芝生の発育の観察を行ったりと、工夫次第で弊害も活用することができる。しかしこれに対して「校庭が使えないから芝生は良くない」というように即座に判断してしまっては、いつまでも芝生化は実現しないだろう。


■最後に
 何も手を加える必要がない土と比べて、芝生化を行えば関係者が少なからぬ制約を受けることは確かである。しかし、和泉小学校の関係者は口をそろえて「芝の管理を負担と思ったことはない」と話していた。 同じ補助金の拠出であれば、全教室に空調設備を整えるよりも全学校の校庭を芝生にする方が、教育上も健康・環境保全上も有意義である。費用や維持管理の難しさばかりが注目されているが、芝生の上でおもいっきり遊ぶ子供たちを一度見てしまえば、どれほど子供たちの成長に重要なことであるかが分かるだろう。