【沖縄及び北方問題に関する特別委員会】参考人質疑

2002年07月11日

武正公一

  民主党の武正でございます。参考人の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
 まず、小泉参考人にお伺いをいたします。
 きょうお手元にこのような資料を配らせていただいております。「北方領土問題のこれまでの動き」ということでございまして、こうした文書を東郷局長の方から見せられたり説明を受けたことがおありになるかどうかをお聞きしたいと思うんですね。
 これは、既に当委員会では参考資料として同僚委員が出しておりまして、特に三枚目の「日本側からの歩み寄り」、九八年と書いてありますが、「ウルップ択捉間に国境を確定しぎりぎりの平和条約を探求。」と。このぎりぎりとは何だ、あるいは日本側からの歩み寄りとは何だというような形での指摘が当委員会でもありました。やはり私は、昨年あるいは一昨年、この東郷局長、そして鈴木議員というような形でいわゆる二島先行返還というような形が進められたんではないかというふうに思うわけなんですが、参考人におかれましては、このような文書を東郷局長から説明を受けたことはおありになったかどうか。
 あるいはまた、特に参考人が日経ビジネスのことしの五月十三日に、「無念、鈴木宗男氏に裏切られた」ということで書かれております。いわゆる四島一括返還をこれまでずっと求めてきた、しかしながら、どうも鈴木議員と会っていろいろお話しすると、一括という言葉は困るというようなことのやりとりや、あるいはことし二月七日の全国大会の後、皆様が、我々沖北の委員にも請願に来られました。そのときにも大激論がありまして、私もあの場に居合わせました。ということで、そのときの模様も、小泉参考人は日経ビジネスの方に書いておられます。
 いわゆる四島一括が、いつの間にか二島先行にねじ曲げられたのではないか、これはやはり日本の外交にとって大変問題だということが当委員会でもこれまでも議論されておりますが、まずは、こういった外務省東郷元局長からの御説明ありやなしや。あるいはまた、日経ビジネスに書いておられます、鈴木宗男氏に裏切られた、無念だという小泉参考人のこのインタビュー、このことについて、鈴木宗男議員あるいは二島先行返還論についてどのようにお考えになるか、お答えをいただけますでしょうか。

■尾身国務大臣

 お答えいたします。
 鈴木議員との関係でございます。
 私どもは、北方四島に元居住しておりました、今おります私どもの組織の中の会員は、御案内のように、択捉島、国後島、色丹島、それから歯舞群島の五つの居住した島、この島の者をもって構成している団体でございます。したがって、我々の返還要求というのは発足当初から、あるいはもっとさかのぼれば島を追い出されてから、四島一括即時返還というのが私どもの言っている返還運動であります。即時という言葉はとりましたけれども、今でも四島一括返還というのは、私ども組織としても、また我々仲間でも、これはスローガンとして、また実際に返還に当たる外交折衝の中でも、ぜひこのことは守っていただきたいというのが私どもの本音であります。
 お話がございましたように、昨年、二島先行あるいは並行協議というような話し合いがございましたが、私どもは、前段申し上げましたようなことからすれば、四島で組織している私どもの組織としては、二つも三つも切るということができない、こういう立場にございますし、また、我が国固有の領土というふうに言っているこの北方四島については、あくまでも四島一括である。
 ただ、そこで申し上げたいのは、今回いろいろ議論がされておりますけれども、四島一括であっても、四島の帰属の問題が解決して平和条約を結ぶ、これは一言で言えば四島一括返還というふうに私どもは考えております。したがって、実際の返還に当たっては、国の指針でございます段階的な返還もこれはあり得るべきというふうには理解をいたしております。
 さて、鈴木議員とのやりとりでございますけれども、私どもは、先生が今の十三区、旧中選挙区の五区でございますが、その時代からかかわっております。特に十三区の選出であられる現在、やはり、私ども旧島民もそうでございますし、私自身も接触は大変多うございました。これは、地元選出の先生、党派を問わずいろいろお願いをしている立場でもございます。したがって、それはそれで私どもは別に異を唱えるわけではございませんけれども、鈴木先生が北方領土問題に非常に熱心であるということも事実でございまして、また、支援事業等についても非常に熱心にやっておられたということも知っております。
 また、私どもも先生のところへ参りましてよく言われましたけれども、おまえたちは四島一括か、四島一括ですということで随分批判はされましたけれども、それについて、それ以上は先生からのお話はございません。また、恫喝されたということも実際ございませんので、その点はひとつ御理解いただきたいなというふうに思っております。
 蛇足でございますが、先生にはいろいろ、法改正の問題あるいは自由訪問等でお世話いただいておりますので、その点については感謝を申し上げているというふうに私は申し上げておるわけでございます。
 それから、二島か四島かという問題でございますけれども、これは私ども、あくまでも四島ということで進めておりますことを御理解いただきたい。(武正委員「この文書は」と呼ぶ)
 この文書につきましては、これはいただいておりません。そういうことでございます。

武正公一

 段階的なことも可能だよといいますけれども、ただ、二島だけで残り二島が戻ってこないというのはこれはもうとんでもないことですから、やはり四島の返還ということは変わりないというふうに私は認識しております。
 この説明資料について、もらっていないというお話でございましたが、これは今回、鈴木議員の著作物の中でも同様のものが出ていまして、日付は三月になっていましたけれども、こういった文書で外務省がロシア外交を進めていたといったことは明らかでございます。
 さて、きょうの要請書には、特に不行使への補償、先ほど荒井議員からも質問がありました。私は、これは、当沖北委員会としてはこの問題についてやはり真摯に取り組んでいくべきだというふうに考えますし、あるいは法案立法作業といったことも必要ではないかなというふうに考えます。あるいはまた先ほど飛行機の話がありましたが、中標津空港から、一回四島の方に飛んでおりますが、やはりこうした航路も必要ではないかなというようなことも考えるわけでございます。
 さて、根室市長であります藤原参考人にお伺いをいたします。
 小泉参考人が日経ビジネスに書かれていた中にも、北方領土返還促進根室会議のことに言及されています。当時の北海道新聞によりますと、鈴木議員はこの会議のことについて、「原理原則でこの戦後の五十六年間、何が進んだのか。大きな目的のためにはさまざまなアプローチがある」というようなあいさつをされた。
 藤原参考人も、その二〇〇一年八月二十六日、北方領土返還促進根室会議の設立のときに、「原点の地・根室の返還運動に厚みと広がりが増したと思う。市としても産業基盤である漁業の窮状を全国に向けて発信したい」というような形で、このときの見出しには「段階返還の団体発足 四島一括から転換」というような形で北海道新聞の朝刊には出されております。
 この市民会議、根室会議の発足のときに市長として参加をされていますが、この会議が設立されたとき、このようなコメントが出ておりますが、参考人はどのように考え、この会議に参加をされたか、お伺いをします。

■斎藤政府参考人

 昨年設立されました返還運動団体、市民会議の設立経過等についてお答えを申し上げます。
 この市民会議の設立目的は、北方領土問題が未解決に伴いまして、これに起因して疲弊しました地域経済の実情を、経済界の視点で全国民に訴えることであるというふうに承知しております。
 市民会議の構成は、市内の漁協、農協、建設協会、商工会議所など経済界を中心として設立されたものと承知しております。
 以上です。

武正公一

 小泉参考人も、二島先行返還のそんな団体ができてしまった、これは四島一括を訴えている貴団体からすれば大変遺憾なことだ、こんなことを日経ビジネスにも書いてありますので、今の藤原参考人の、経済のための団体だというのは私はやはり納得できないわけであります。
 ちょっともう一つ、今、藤原参考人、いろいろ述べましたが、日ロの漁業交渉、これについても、今どんどん割り当て量が減っていますね。割り当て量が減っている中での漁業交渉ですから、ある面、交渉しながら、そしてまた今度領土交渉もする、これはなかなか難しいところがありますね。やはり、魚をできるだけとらせてください、こういう交渉をしながら、一方で領土を返してほしい、この両方というのは大変実は難しいところがあるんじゃないかなというふうに考えるわけなんですが、ちょっと時間の関係もありますので和田参考人の方に移らせていただきます。
 昨年の六月二十九日ですか、対露政策を考える会がやはり九三年の東京宣言を今後の交渉の原点にすべきだというようなことを言っています。あるいは、その対露政策を考える会のメンバーでもありますし安保研の代表でもあった末次一郎さんが、産経新聞との対談では、やはり対ロ交渉は基本路線に立ち戻れというふうに言っております。
 先ほど参考人は、外務省が二島先行返還論をリードしたのではないというようなことも言われておりますが、私は、それはやはり認識が違います。そういった中で、五六年の日ソ共同宣言がまず交渉の原点だというような参考人の御発言がありましたが、この末次さんの言われました、東京宣言を今後の交渉の原点とすべき、そして対ロ交渉は基本路線に立ち戻れ、この点についてはどのようにお考えになりますか。

■川口国務大臣

 交渉の原点というふうなものをどういうふうに考えるかということでございますけれども、日本とロシアの間には、基本的に、国交を樹立した際の基本的な文書であります五六年の宣言というものが存在いたします。ロシア側はこれを嫌って、これを否定しておりました。日本側でも、この文書はややもすると二島返還を裏づけるのみであるということで、これに対する反発というものが、かつてもありましたし、現在も存在しているように見えます。
 しかしながら、国家と国家の関係というものは、やはり基本的に取り交わした文書というものを基礎にいたして行うものでありますから、私は、ノーマルな交渉といたしましては、五六年を基礎にして、そこから出発した上で、日本としては四島返還になるようにそこから努力をしていくというのがやり方だと思っております。
 それで、東京宣言の方は、先ほども申しましたが、共同声明でございまして、これは五六年共同宣言とは比重が全然違うものでございます。それで、確かにここでは、四島について帰属を解決する、そして平和条約を結ぶんだということが述べられておりますし、先ほど指摘した三原則が述べられておりますけれども、しかし、それは一つの抽象的なものを述べているだけにすぎませんで、これだけでは領土問題の解決、日本が望むような解決に直ちに歩み寄れるというものではないわけであります。
 それから、今の御指摘のとおり、四島一括返還論というもので進められましたいわゆる川奈提案問題でございますが、川奈提案問題というものがぎりぎりの提案として出されましたが行き詰まりましたという状況のもとで、交渉の仕組みを変えるということで段階的なアプローチが出たものというふうに見ております。それは、四島返還論を捨てるというものではなく、それを達成するための新しいアプローチであるというふうに私は見ております。ですからこれが、二島返還で中間条約を結んで、そしてそれで進めていくとなりますと、これは確かに二島先行返還論でございますが、進みましたのはそういうものではなかったのではないかと私は見ております。
 ですから、末次先生が生涯最後の文書でああいうふうに御指摘になられましたことを私も重く見ておりますけれども、しかし、やはり大筋に考えれば、イルクーツク声明に対する非常な心配が当時存在しておったのでございますけれども、次第にそれは薄らいできている、イルクーツク声明というものを基礎にして交渉できるのではないかというふうになっておったのではなかろうかと思われます。
 ですから、末次先生が生きておられれば、また、もう少しどういうふうな展開になったかということを私はいつも考えております。
 以上です。

武正公一

 以上で終わります。ありがとうございました。

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