2004年2月26日 【憲法調査会】
■武正小委員
民主党の武正公一でございます。
まず、イラク自衛隊派遣の一つ説明とされます国際協調と日米同盟の両立ということでございますが、現憲法の前文に日米同盟という明記がないのでございまして、そもそもこの両立というか、それぞれの概念が違うわけであります。国際協調が上位概念と言ってもいいわけでございます。譲って、両立でも、今回のイラク自衛隊派遣はやはり日米同盟ありきといったことが指摘をされるわけでございます。もちろん、小委員会の中でも、日米安保の極東の安全と平和という、そのことの指摘もありました。 さらに、今イラクまで自衛隊を派遣されておりますが、今後全世界にこの日本の自衛隊は出ていくのかどうか、こういった今岐路に立っているし、そのための憲法上、法律上のやはりさまざまな必要性、検討が必要な時期に来ているというふうに言わざるを得ません。 民主党では、二〇〇二年七月にまとめましたこの憲法調査会、民主党のものでございますが、憲法解釈変更、そして安全保障基本法等による規定、そして憲法改正の三つの選択肢を掲げておりますが、特に、先ほど触れました現憲法の前文にある国際協調、この国際協調主義を一つの論拠にいたしまして、自衛のための必要最小限度の武力行使は集団安全保障活動として認められることもある、これもやはり選択肢のうちの一つというふうに考えるところであります。 今回のイラク自衛隊派遣は、特措法は、九・一一テロ特措法に由来をする、いわゆる国会の関与については事後承認になっております。そもそもシビリアンコントロールというのは、あくまでも国民の代表である国会が自衛隊あるいはそうしたフォースのコントロールをするというのでありまして、この国会の関与が弱いということが甚だ問題でありますので、やはりイラク特措法、テロ特措法など、国会の関与は積極的に事前承認に、基本計画等あるいは閣議決定の基本計画の承認等をしていくべきであろうというふうに考えるところであります。 そしてまた、この憲法裁判所の設置の必要性、そしてまた国連中心主義ということでありますので、国連が機能するよう、国連改革を含め、不断の努力をすべきであって、あだや国民軽視のような発言をすべきではなく、また過日、事務総長の国連での演説の一部をとってイラク自衛隊派遣の大義とするようなことはあってはならないというふうに考えるところでございます。 以上でございます。
■中山会長 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。
■仙谷委員 私自身は、いわゆる国連による集団安全保障及び集団安全保障措置について、日本が積極的に関与すべきである、あるいはそのために日本が国連の中で、いわゆる安全保障理事会の構成を含む日本の関与をより強めるべきであるというふうに考えておりまして、さらに、そのために日本国憲法でその旨を明確にするための規定を置くことについてもちゅうちょするべきでないというふうに考えているわけでございます。 しかしながら、最近の集団的自衛権をめぐる議論というのは、そういう観点からすればするほど少々不可解な感覚で聞いております。つまり、国連憲章五十一条の集団的自衛権行使についての規定というのは、言うまでもなく、国家に対する武力攻撃が発生した場合の、これに対する緊急やむを得ざる自衛の措置あるいは自衛権の行使としての規定が記載をされているわけであります。 ところが、最近、非常に不明確な形で集団的自衛権という言葉が使われているわけであります。一つには、イラクの、アメリカのこの占領行為に対する自衛隊の派遣が、何か集団的自衛権の行使と関係があるかのような、ないかのような議論がされているわけであります。どうして今度のイラクへの自衛隊の派遣が、集団的自衛権の行使というふうな解釈なり適用ができるのか、私にはわからない。 つまり、日本の国家が武力攻撃を受けているわけでもない、アメリカという国家がそのような攻撃を受け、もしくは武力攻撃を受ける緊急性、あるいは急迫の侵害を受ける急迫性といいましょうか、そういうものがあるわけでもない。つまり、集団的自衛権の行使をとることができると仮定しても、そのような要件が全くないわけであります。 それで、このイラクへの自衛隊派遣もそうでありますが、その他の自衛権、集団的自衛権の行使と言われておるものは、要するに、根拠がある自衛隊の海外的プレゼンスなのか、全く国際法的根拠のない海外における自衛隊の行動なのか、いずれにしても、その場合の集団的な戦闘あるいは武力を行使しての行動が、あたかも国家における自衛権の行使と混同して語られているというところが非常に大問題ではないか。このことは、集団的自衛権の行使というふうな概念を使う場合に大いに注意を喚起して使っていただかなければならないんではないか。 当然のことながら、この集団的自衛権の問題と国連による集団安全保障の問題というのは、全く概念もあるいはその要件も異なるということを改めて確認すべきだろうと私は思っております。 以上であります。
■中谷委員 ただいまの仙谷さんの御意見について、まず、イラクにおける復興人道支援というのはあくまでも武力行使にならないということでありますので、集団的自衛権を発動するという範囲の話ではない。 しかしながら、PKO活動のときからもそうでしたけれども、武力行使の一体化という観点で他国と協力をしたり、他国を警備、防衛したりすると武力行使と一体化になるのではないかというような憲法解釈で、それは、集団的自衛権のこの解釈の幅が広くなりまして、単なる国際貢献における外国との協力も、また米国の自衛権に対する協力も、同じ集団的自衛権であるということから来ているわけでありまして、この辺においては、明らかに集団的自衛権で今後ともできない部分と、こういった国際協力活動においては他国と協力、協調するということで必要な部分と二面性があるということで、今後議論をしなければならない分野だと思います。 それから、武正さんに機会があったら伺いたいんですが、この国際協調と日米同盟というのはまさしく二つの概念がありまして、当然、国際協調の方が上位になると私も思います。 ただ、昭和二十五年に講和条約ができた際に、そのときに、日米安保条約も一緒に結んでいまして、これは、国連が機能するまでの間は日米安保を日本の防衛に資するというようなことでありますので、要は国連が機能している状態かどうかというと、それから五十年たっても、いまだに国連軍すら機能していない。つまり、常任理事国の五カ国が意見が一致しないから国連が紛争防止などの機能をしていないという観点で、今後のことも考えますと、なかなか機能ができないというところから、現実的な問題として日米同盟というものを重視せざるを得ないというところに来ていると思います。 そのような観点で、日本は国連に依存するということで、本当に国連自体の改革を待たずしてそういうものに依存をしても、これまた不安な面もございます。 そして、最後に質問ですが、この集団的安全保障活動というのは、いわゆる日本は後方支援にとどめていますが、おっしゃるような国連の協力なら全面的にやるべきと考えているのか、すなわち治安維持とか、いわゆる平和回復活動的な部分もあろうかと思いますけれども、国連に対する集団的安全保障という概念は、そういった部分も含まれるかどうか。こういう観点について意見を聞いてみたいと思っております。
■武正委員 まず、日米安保条約が国連が機能するまでの暫定的なものだというところは、やはり議論が分かれるのではないかというふうに思いますし、国連は今後機能しないというふうに中谷委員が断言をされるのは、やはり問題であろうというふうに思います。やはり国連の構成員が努力をしなければ国連は機能しないわけでありますので、やはり分担金第二位の国が国連を機能させるための不断の努力をしていく必要があるというふうに思います。 そして、集団安全保障活動について、今どこまでかという話がありましたが、日本として今PKOということで参加をしておりますので、その後のPKFについては、政府の方も条件を幾らか緩めておりますので、これについての参加というものは当然また選択肢のうちの一つに入ってくると思いますが、現状ではPKOまでといったことだと思います。
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