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■国会議事録 衆議院本会議及び委員会での質問記録 |
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2005年5月13日 【外務委員会】 |
■武正委員
民主党の武正公一でございます。条約の審議についてまず行わさせていただきます。
今回の組織犯罪防止条約の二つの議定書でございますが、そもそも組織犯罪防止条約、これが国内法のさまざまな改正を引き起こす条約であるということでございます。共謀罪の創設などの関連法、これはまた刑法、あるいは入管法、あるいはまた旅券法というような形での法改正ということでございますが、私は昨年からこの外務委員会に所属をさせていただいて、あるいは憲法調査会でも提起をさせていただいておりますが、我が国の条約の国会における審査、これはもっともっと行政当局に対して強くかかわりを持つべきであろうということを提起させていただいております。 例えば多国間の条約については、国会が留保をつけるというようなことも含めて、国内法に対する影響が条約は大きい。我が国は条約が国内法を規定するといった法体系をとっておるだけに、条約が署名されて後は批准、しかも国会では、きょうの条約もそうですが、反対するか賛成するか、附帯決議ももちろんつけられない、そして条約に留保もつけられない、こういった国会のあり方は私は大変疑問に思っております。条約の署名、批准に当たって国会の関与を強めるべきというふうに考えておりますが、この点について、大臣、いかがお考えでしょうか。
■町村国務大臣 この点につきましては、かなり本院においても長い間議論があった問題であるというふうに理解をいたしております。大平外務大臣時代の昭和四十九年に衆議院外務委員会において、我が国の憲法上、いかなる国際約束の締結について国会の承認を有するかについての政府見解というものについて、今までの慣行というものを整理しながら統一的に明らかにしたいわゆる大平三原則というものがここである程度整理をされたわけでございます。 私は、その後これに沿ってずっと国会との関係については運用をされてきている、このように理解をいたしておりまして、私も改めてこの大平三原則なるものを勉強いたしましたが、私は、今の時点でこれを変えなければならないという積極的な理由は率直に言って見当たらない、これはこれでよく整理をされたものではないだろうか、こう理解をしているところでございます。
■武正委員
ちょっと次に飛んでしまったんですが、国会の関与をもっともっと強めるべきだということも含めてお答えをいただいたというふうに理解をいたします。
ただ、昭和四十九年の大平外務大臣ですか、当時の外務大臣の大平三原則、ことしは昭和でいえば八十年ですから、もう三十一年経過をいたしております。やはりこれだけ外交が国内の内政に与える影響が大きい今日でございます。日本の国際的な地位というものもこの昭和四十九年から大きく変わってまいりました。そうした中で、私は、やはり国会の関与はもっともっと強めていいということで、大平三原則がそのままでいいとは到底思えません。 大平三原則、繰り返しになりますが、第一が、国内の法律にかかわる事項については国会に提出をしよう、あるいは財政にかかわる事項、それから政治的な重要度というような観点からの国会への提出あるいは批准を求める、こういった三原則でございますが、やはりこの政治的重要度というのは、ある面、行政当局の裁量の働く余地が多いということと、このときはいわゆる交換公文について問題となりました。このときは、日米原子力協定に基づく濃縮ウランの交換公文を交わした後、では外務委員会に提出しますよ、あるいは国際ココア協定についても、では外務委員会に提出しますよというようなことが後から問題になりましての改めての三原則の明示でございました。
例えば、交換公文でいえば、昨年の十二月十四日、町村外務大臣はベーカー駐日大使とミサイル防衛技術協力、包括的な技術協力について交換公文を交わしております。これまでは一回一回交換公文を交わすというものを、すべてまとめてというような交換公文になったということで、私はきのうも安保委員会でこのミサイル防衛構想の質疑に立ちましたが、日米の交換公文というのは我が国の安全保障、防衛にとって大変大きなものであるというふうに考えておりますが、例えばこの交換公文も国会に提出をするとか外務委員会に提出をするとか、あるいはそこで議論をするとか、こういったことはこの大平三原則ではないわけでございます。
私はやはり、イギリスやアメリカなど諸外国を参考にしますと、例えばアメリカでは、国会、特に上院外交委員会でありますが、修正、留保、了解、意思表明、ただし書き、そしてしかも重要でない条約であってもすべて国会で採決、一括採決のようなやり方もありますが、これをいろいろ工夫している。 イギリスにおいても、やはり三つの条件があります。歳入、いわゆる財政にかかわるもの。それから、もともと国会に例えば批准の要件がある規定がある。三つ目が、いわゆるポンソンビー・ルールということで、署名して二十一日、批准前に議会に提出する。あるいは、国家活動を拘束するすべての協定、確約、了解、通知、これはポンソンビー・ルールに基づいて、すべて討論ではありませんが、野党が討論を要求できるということなどがございます。あるいは、散会討論というような形で国会が関与することができるということもございます。 町村外務大臣、ちょっと順序が逆になりましたが、大平三原則については先ほどお話がありました。私はそうじゃないということを申しましたが、国会がやはり国際間のさまざまな条約等についてもっともっと深くかかわっていくということは、私は、日本の外交、安全保障にとっても大変有意義である。もちろん国民の理解を、国会、代表を通じて理解を深めるとともに、さまざまな知恵やアイデアがその国際間の条約等の取り決めについてかかわってくることは大変重要であるというふうに思うんですが、この点について再度御所見を伺います。
■町村国務大臣 それぞれの国の政治状況あるいは憲法の成り立ち、条約締結に当たってのいろいろな経緯があるんだろうと思います。日本は日本としての運用、慣行をやっておりますが、同じような議会制民主主義を採用している今のイギリスあるいはアメリカの例もお引きになられましたが、どこの国でも、やはり一定の範囲の国際約束というのは行政府限りで締結し得るということにはなっているんだろうと思います。ただ、さらにそれを超えて、一般的にそうした国際的な取り決めを結ぶ際に国会の関与を強めるべきというのが武正議員の御議論だろうと思います。 私は、大いに、今でもそうでございますけれども、かなり詳細な議論が日本の国会の中では行われている、こう理解をしております。それはなぜかといいますと、しばしばいろいろな国の外務大臣とも話をしますけれども、別に恨み言を言っているつもりもございませんが、これだけ長時間外務大臣あるいは総理大臣が国会に出て答弁をしている国はまず世界に例を見ない、そんなにあなたは長い間国会に行ってどうやって外交をやるんだ、まことに不思議であるという質問を受けるほどでございます。 そして、その中には、例えば条約の審議、あるいはこの中の何人かの方々が、例えば地位協定の問題なども大変詳しくいろいろ議論をしておられる方もいらっしゃいます。その地位協定の運用のまた解釈等についてもまことに緻密な御議論を展開される方がいらっしゃいまして、私はいつも敬服の念を持っているわけでございます。 そういう形で、今あるものについてもかなり子細な議論がこの国会の中で十分行われている。そういう意味で、国会の関与は諸外国と比べてある意味では最も進んでいるのが日本ではないだろうかとさえ私は、印象でございますがそういう印象を持っておりますので、私は、今、結論として申し上げれば、大平三原則を改めるか否かという点については、今のままで十分ではないだろうか、そういう結論を持っているわけでございます。
■武正委員 今の外務大臣のコメントでございますが、このゴールデンウイークも随分外務大臣そして首相が外遊をされまして、火曜日、私ども部門会議で、ゴールデンウイークの外務省からの報告を、大変な大部の報告をいただきました。とてもその時間では追い切れないというような外遊をされております。また、当外務委員会も、これまで外相の外遊について、国会としてそれをとめてきたということはないというふうに伺っております。 そうした、外務大臣が海外での外交をやっていただく、これはもとより問題のないことでございますが、何といっても国会に対する説明責任あるいは国民に対する説明責任、これがあっての外交である、これは論をまたないというふうに思いますし、あえて申せば、日本外交の今の現状は、海外で外務大臣が走り回るよりも、まず国内における説明を重視する方が先である、こういう現状ではないかと私は認識をしております。 さて、条約については以上で、次に移らせていただきます。 まず、当初予定をされておりました四月二十二日の日中首脳会談が二十二日に行われなかった理由、これについてお答えをいただけますでしょうか。
■町村国務大臣 ちょうどその折、私もインドネシアに行っておりました。二十二日に帰ったのかな。いずれにしても、ちょうどやりとりをやっている状況もその場におりましたのでわかっておりますけれども、たしか二十二、二十三、二十四のいずれかの間でしかできないだろうと。その間に、バンドンに行く時間もある、あるいは総理御自身がアチェの被災地の現場を見に行く必要がある、会議もある。 非常に限られた時間の中で、それぞれやりくりをどうやってつけるかということで、細かい日程をいろいろすり合わせているうちに二十三日ということに結論がなっていったということで、特にこの日でなければならないということをあらかじめ決めていたわけではなくて、双方がジャカルタ、インドネシアに滞在中のどこかで時間をつくろうということで日程調整をしていた現場を私は見ておるところでございます。
■武正委員
これは副大臣の方でよろしいでしょうか。私たちも外務部門会議で、二十二日の当初の予定が二十三日にずれ込んだことによっての影響ということで、当初、例えばミャンマーの首脳と日・ミャンマー首脳会談、こういったものも机を挟んで予定していたんだけれども、それが、日中首脳会談がいつ開かれるか、いつ開かれるか、こういった過程において、結局立ち話になってしまった、こういった報告を外務部門会議で受けたんですけれども。
当初予定されていた首脳会談のうち、そうした立ち話になってしまったもの、あるいは取りやめになってしまったもの、これはどことどこがあるんでしょうか。お答えをいただけますか。
■逢沢副大臣 どういうふうに御報告を申し上げたらいいのかと思うわけでありますが、私自身も実はそういった、まあレベルはもちろん中レベル、そんなに高いレベルではございませんものも含めてでありますけれども、国際会議に出席をし、できるだけバイの、その機会を通じて会談を持とう、そういう積極的な姿勢で臨んだ経験が何回かあるわけでありますが、相手方の都合、あるいは会議そのものの進行の状況等々によって、当初こういうものをこちらも望んでいた、あるいは双方で合意をしていたけれども、結果的にその時間が持てなくなった、あるいはちょっと会議と会議の合間を使って立ち話になった、そういう経験があるわけでございます。 今回、小泉総理、今御指摘のように、ミャンマーのタン・シュエ国家平和開発評議会議長とは会議場内において短時間の立ち話を行ったという、結果的にはそういうことでございましたが、いわゆる冒頭申し上げました双方の都合等を勘案して日程調整を行った結果、そのようになったというふうに申し上げさせていただきたいと思います。 また、カダフィ・リビア最高指導者との会談でございますけれども、これは会談の調整の詳細につきまして、相手国との関係もございますので、個別具体的なことをここで申し上げるのは差し控えさせていただきたいと思います。 ユドヨノ・インドネシア大統領、ムベキ南ア大統領、胡錦濤国家主席、カルザイ・アフガニスタン大統領、そしてアナン国連事務総長とそれぞれ会談を行い、先ほど申し上げましたタン・シュエ・ミャンマー議長と結果的には立ち話の会談を行ったということでございます。
■武正委員 そうすると、当初、日・ミャンマーは、ミャンマーの議長とは首脳会談を行うということで調整はしていたということでよろしいでしょうか。
■逢沢副大臣 短時間でありますけれども、会談を行おう、つまり、あえて正確に申し上げれば、会談ということになれば、立ち話ではなくて着席をして会談を行うということを希望いたしておりました。
■武正委員 さて、このアジア・アフリカ会議で、小泉首相のスピーチでございます。いわゆる第二次大戦の惨禍について小泉首相がその反省とおわびを述べたわけでございますが、過去、こうした国際会議でこうしたことがあったのかどうか。 その原文を読みますと、「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ」云々かんぬんということでございますが、アジア・アフリカ首脳会議で述べたわけですが、過去、日本の首脳が国際会議で、まず第二次大戦の惨禍について反省を述べた例があるかどうか、そして今回と同じように反省とおわびを述べた例があるのかどうか。以上二点、お伺いをいたしたいと思います。これは町村外務大臣、よろしいでしょうか。
■町村国務大臣 表現の仕方はいろいろかなと思っておりますけれども、例えば、一九九五年、ちょうど国連五十周年、十年前のことでありますが、当時の村山総理が国連の記念総会特別会合における演説の中で、我が国は再び戦争の惨禍が起きることのないようかたく決意をして平和憲法を制定したことや、平和国家としての基本理念に基づき、国連への協力を外交の重要な柱として、国際社会の平和と繁栄のために積極的な貢献を行ったというような言及があります。
あるいは、一九五一年九月、サンフランシスコ講和会議におきまして当時の吉田総理が、世界のどこにも将来の世代の人々を戦争の惨害から救うために全力を尽くそうという決意が日本以上に強いものはないこと、あるいは、諸国の全権代表がさきの太平洋戦争において人類がなめた恐るべき苦痛と莫大なる物質的破壊を回顧されるのを聞いたこと等に言及しているということでございます。
そういう発言の意味というのは、まさに小泉総理が言われた、植民地支配と侵略によって多くの国々の人々に多大の損害を与え、苦痛を与えたことを反省し、二度とこのような不幸な歴史を繰り返さないとの決意を明らかにしたということと同趣旨ではないだろうか、こう考えているところであります。 なお、この大臣スピーチについて申し上げるならば、確かにこの部分が非常にマスコミ等々でも大きく取り上げられております。しかし、これは第一パラグラフでありまして、第二パラグラフでは、日本が戦後、平和国家としていかに歩んできたかということをより大きく述べておりますし、さらにその後、より具体的に、例えば日本が開発援助の部分でどれだけのことをやってきたか、またこれからどういうことでさらに援助等を積極的に進めていくか、アジア、アフリカ諸国の発展に寄与していくかということを全体として述べたのであって、このおわびの部分だけを取り上げて小泉スピーチというものを見ていただきたくないな、こういうことを、蛇足ではございますが、あえて申し上げる次第でございます。
■武正委員 私が今二つ例を挙げた、村山元首相の国連での演説と吉田元総理の演説について、それぞれ今、外務大臣の御紹介では、反省という言葉もおわびという言葉もなかったというふうに私は今聞いておりました。
報道によりますと、九一年の海部元首相の演説、国際会議で反省という言葉を使われ、そして、これまで初めてでありますが、今回小泉首相が反省と、今、二度とというような形で外務大臣は言われましたが、原文には、「痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを」ということをしっかりと言明したのは初めてではないかということでございます。
さて、なぜこのアジア・アフリカ会議で反省とおわびに小泉首相が触れなければならなかったのかといったことでございますが、アナン事務総長がこういったことを言っています。痛切なる反省と心からのおわびを表明した二十二日の小泉首相の演説を全世界が受け入れると確信していると評価したと。
アナン事務総長は、それまで、外務大臣御承知のように、特に日中間の歩み寄り、話し合い、これを事務総長として何度も何度もするようにということを述べておられましたし、当然、そうしたこともあったんでしょう。その後に、事務総長は、今回の首脳会議で参加国が大きな関心を寄せた日中首脳会談について、小泉首相の演説があったから実現したんだろう等の見方を示したということなんですね。
もしかしたら、このアジア・アフリカ会議で、先ほどの反省とおわび、過去、日本の首脳がこのことを口にしたことがなかった国際会議での初めての発言、これをしたことによって、二十三日、アジア・アフリカ会議のある面重要事項、すべてのものとは言いませんが、一段落した後に、中国の主席が滞在をするホテルに出向いていってお会いをいただいて、そして日中首脳会議になったのではないかと。こういったことは大臣としていかがお考えでしょうか。
■町村国務大臣 ことしのかなり早い時期、一月のどこかの時点であったと思いますけれども、私は、小泉首相といろいろな話をする中で、ことしは戦後六十年という一つの節目の年である、こういう折に、どこかの機会をとらえて、日本の戦後の歩みを含めて前向きのメッセージを小泉総理として出した方がいいのではないだろうか、そんな話をいたしまして、それはそうだ、どういう場面があるのかなというような話をする中で、ちょうど四月の下旬ごろにインドネシアでバンドン会議五十周年という大変大きな集まりがあるので、そこでまとめて、どれだけの時間がとれるかわからないけれども、メッセージを出したらどうだろうかという話をしたのが、たしか一月の早い時点だったと私は記憶をいたしております。 そして、その際に、総理とのやりとりの中で、ではどういう内容にするかというのを順次議論していったんですが、こんなことをこんなに詳しく言っていいのかどうかわかりませんが、三月の中旬ごろに、大体言うべき内容の骨子をまとめました。その時点でもう既に、過ぐる大戦の話、そして戦後の日本の平和国家としての歩み、さらにこれから日本がどういうことを世界に対して貢献していこうとするのか、特にアジア、アフリカ諸国に対してどういう貢献をしていったらいいかということを前向きのメッセージとして出そうということを、私の記憶が正しければ、もう既に三月の中旬ごろには、大体あらあらの骨子は固めて、それでそれに基づいて文章を書いていったという経緯がございます。 したがいまして、例えば中国のデモが起きたのはそのはるか後のこと、四月に入ってからのことであります。私どもは何も、あのデモがあったから急にこのおわびの言葉を入れたのではないかという一つの推測を今、武正議員はなさっておられる、あるいはそういうような記事を私も見たことがございますが、あるいはそういう発言があったから日中首脳が確定をしたという、まことにストーリーとしてはおもしろい推測をつくられる方がいましたが、実態はそういうことではございませんで、かなり早い段階から、小泉総理としてのメッセージを国際社会に出そう、この場が非常にいいのではないかということを考えてやったわけであります。 したがいまして、例えば小泉総理が到着をする前の段階で、二十二、二十三、二十四のどこかで日中首脳をやろうということは、もう既に固まっておりました。具体の日取りの調整は、それぞれの日程調整は両首脳が着いてからにしようということで、まずやるという前提はあったものですから、したがって、今、ある方の、たしかどこかの新聞記事が、小泉さんの、総理のおわび演説があったから初めて首脳会談が成り立ったという推測がありましたが、それはまことに事実に反する話でありまして、その演説が公表される前の段階に、既に首脳会談が開かれるということについては日中間で合意があったということでございます。
■武正委員 三月から、過ぐる大戦についてあらあらということでございましたが、あとデモがあったから今回日中首脳会談をということ、私はそれは先ほどは申し上げなかったんですけれども、あらあらは三月でしょうが、国際会議で日本の首脳が初めて反省とおわびを言明するという、これは大変なことであると私は考えるわけなんです。
それが、やはりこの日中首脳会談、あのときは、二十二日も含めて中国側が応じるかどうかというようなことを言われておりましたので、そういった推測があっても当然であろうと私は思いますし、なぜこのアジア・アフリカ会議で初めてこうしたことを言明したのかということを大変疑問に思います。
ここでちょっとお伺いしたいんですが、日中共同声明で反省という言葉が出ております。「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」これは前文にあって、国際法上は例示的規定というもので、それによって賠償などの義務や謝罪声明の必要が生じるものではない、こういった指摘があるんですが、これについての御所見を伺いたいと思います。
■長嶺政府参考人 お答えいたします。
今、日中共同声明にお触れになりましたけれども、共同声明は、首脳会談のような重要な会談に際しまして、その内容を公表する目的で作成される政治的な性格の文書でございます。その意味で、法的な拘束力を有するいわゆる国際約束あるいは条約等のものとは異なるわけでございます。
日中共同声明も同様でございまして、両国政府の見解や政策の表明等を示した政治的性格の文書でございますので、今委員の方から前文という御指摘がございましたけれども、前文と本文の違いといった、通常条約について言われることが妥当する文書ということではございません。
■武正委員 九五年の村山談話で反省とおわびということが出てきて以降、小泉首相も、歴史認識はこの村山談話を遵守あるいは踏襲というようなことを言っておられるわけでありますが、今般初めて、しかも日本の首脳として国際会議でそのことに触れたというのは、私は大変大きい意味があるというふうに思いますし、果たしてアジア・アフリカ会議で触れるのが本当に適切だったのかどうかということも含めて、あくまで、やはり日中首脳会談を二十三日に開催しなければならなかった、そういった理由があるのではないかというふうに考えるところでございます。 さて、この二十三日の日中首脳会談で、先ほど来触れておりますように、日本側からは、今般の大使館への投石などに対して、謝罪及び賠償請求は小泉首相からはなかったわけですね。それに対して中国主席からは、共同記者会見で、いわゆる五点主張というんでしょうか、これをしたんだと。しかも、外務省のペーパーによっても、その五点主張について、同意をしたとは日本の外務省は書いていませんが、それについて承ったというような、そういったことですね。「貴国家主席の提起された五つの点に配慮していきたい。」こういったことを言っているんです。
中国の主席が泊まっているホテルに出かけていって会って、しかも謝罪も賠償請求もせずに、そして逆に五つの提案というか要求をされ、しかも靖国問題を含めて具体的に行動で示してくれ、こういった注文までつけられる。これが果たして日中間の外交としていかがなものかなというふうに私は思うわけでございます。
現状、やはり日中首脳の相互交流が三年半行われていない、これがまず第一の理由。そしてまた、これは小泉外交にあって、先ほどの国際会議で初めて謝罪とおわびを口にするということも含めて、外交の原理原則というものがどこにあるのかなといったことも含めて、今回の日中首脳会談での点についても、私は、一体何のために会ったのかということも大変疑問に思うわけでございます。
この時期にそこまでして会わなければならなかったというふうに外務大臣はお思いでしょうか、お答えをいただきたいと思います。
■町村国務大臣 先ほど来から、この小泉スピーチと首脳会談の関係を盛んに不思議がっておられますけれども、今私の手帳を見ると、私は四月二十一日木曜日の夜にジャカルタを出発しておりますが、この二十一日の夕方、李肇星外交部長から電話がかかってきて、二十二、二十三、二十四の三日間のうちどこかで日程調整をして首脳会談をやろうということで合意をしておりますから、この演説の内容と全く関係なく、独立して首脳会談がセットされたという点だけはまず事実として明確にしておきたい、このように思います。
また、先ほど申し上げましたように、ことしの早い段階で、もう既にこのアウトラインというものをつくっておりました。それは、やはりアジア、アフリカ諸国の皆さん方が集まったときに、日本が平和国家として戦後やってきたということを自信を持って主張する、その根拠として、なぜそういう気持ちを持つに至ったかといえば、それは戦争あるいは植民地支配といったことの反省の上に立って戦後の日本があるんだということを導き出すための、一つの論拠と言うと変ですけれども、そういう日本人の心情の上に立って戦後の日本の平和国家としての活動があるんだということを述べるためにこれを使ったわけであります。
私は、国際会議でこうしたことを堂々と主張するということに何ら不思議は感じませんし、むしろそういう意味で、あのデモがあろうとなかろうと、あの小泉スピーチというものは十分説得力のあるものであった、このように評価をしているものでございます。 そういう中で、何で二十三日の日に日中会談をやったのか、意義が認められないというようなお話でございました。私は、世界の国々が、やはり日中関係がもし本当にこのままどんどん不正常な状態になって進んでいくということになると、これは日中両国間にとってマイナスであるのみならず、アジア全体、さらに世界全体にとってそれは決していいことではない。 日中両国がこれからしっかりと同じ方向を向いて、より友好的な関係を築いていく、そういう努力をするという際に、もちろん、その前段階としての日中外相会談もあったりしましたが、やはり両国のトップがしっかりとその場で話し合いをし、握手をし、ともに努力をしていこうという確認ができたこと、その姿を見て、世界の人たちは、ああ、これ以上悪化はしないんだな、これからよくなっていくんだなということを確認できたわけであります。 そういう意味で、私も、例えば五月六日、七日の京都で開かれましたASEMの会議の場でヨーロッパのあるいはアジアの外相等とお目にかかったわけですが、やはり皆さん方が、あの首脳会談は非常によかったというふうに素直に受けとめているという事実があることをぜひ御理解いただきたい、こう思います。 五点の主張、それは中国の主張としてあるわけでありまして、小泉総理はこの五つの点に配慮をしていきたいということを述べておりますし、その言っている中身、台湾についての主張は、日本側は今まで何ら新しい主張をしているわけでもありませんし、歴史認識についても同様でございます。何か格段のことを、この五つの主張の中で何か日本の国益を害するようなことが大きく含まれているかどうかということについては私はないので、これに配慮していくという総理の受け答えはまた当然であったんだろうと思っております。 また、おわび等々の話になぜ触れなかったのかという御指摘もございました。それは、外相会談でかなりそこのところは十分もう既に話し合っておりますから、また同じことを首脳レベルで全部繰り返す必要もないだろうという総理の御判断だろう、こう思っております。 ただ、それにしても、ああした過激な行動は好ましくないという点については、中国における大使館、総領事館、日本企業、日本人の活動については適切な対応をすべきであるという主張も小泉総理はしておられますから、そういう意味で、私は、必要なことはちゃんと小泉総理は言っておられる、このように理解をいたしております。 そういう意味で、私は、四月二十三日の首脳会談は意義のある、また国際的にも評価される、そういう会談であったと理解をしております。
■武正委員 この連休中の日中外相会談で、外相は引き続き謝罪を要求したけれども、それについて返事はない。これは、日中首脳会談で謝罪要求をしなかったということをもってして、中国側はこれでよしとしているということも指摘がされているわけでございます。 繰り返す必要はないというふうに言われましたが、日本側が大使館へのああした事件について謝罪を要求しないのに、何でアジア・アフリカ会議で、初めて日本の首相がおわびを国際会議で口にしなければいけないんでしょうか。外交の最高責任者であって、おわかりのように、国際間で、エクスキューズというかアポロジャイズというか、謝るというのは大変なことですよね。 アメリカ人も、あるいは海外でいかに彼らが謝らないか。本当に悪かったら謝りますよ。でも、謝ってしまったら、もうすべてうちが悪うございましたということだから、いかにそれを謝らずにいろいろな言葉のテクニックを弄するか、これが外交ではないでしょうか。 その中にあって、初めて国際会議で日本の首脳がおわびという言葉を口にする。一方、その日本の首脳は中国首脳におわび、謝罪を求めない。これが今の日本外交の現実じゃないでしょうか。先ほど何ら不思議ではないと言った外務大臣、まあ反省についてということでありましたが、おわびについては触れておりませんが、今回のこのバンドン五十周年会議でなぜ反省とおわびを入れたのか。それは、やはり何としても二十三日に首脳会談をやらなければならなかった、その理由があったからだというふうに私は考える次第でございます。 さて、最後、副大臣に御質問でございますが、モスクワ訪問はいつ発表し、ぎりぎりまで明確に返事をしなかった理由は。そして、名簿ではアルファベット順で日本が最後になっているという今回の第二次大戦終了六十周年記念式典、これは事実かどうか。以上二点、お答えをいただきたいと思います。
■逢沢副大臣 総理がモスクワに行かれまして、モスクワにおける第二次大戦終了六十周年記念式典に出席をし、私どもとしては、やはり総理に行っていただいてよかった、そのように評価をいたしているわけでございます。 総理は、御承知のように、今まさに議論になっておりましたバンドン会議への出席、そしてその後、インド、パキスタン訪問、またEU、ルクセンブルク、オランダ等々、連休の前半を使いまして直接外交活動に対応をされたわけでございます。 また、ちょうどこの時期というものが、連休が終わりまして国会等も動き出す、そういうタイミングにもなる。あるいは、モスクワの戦後六十周年記念式典なるものが一体どういう性格で、どういう意味合いのものであるか、何しろ初めてと申しますか、かなり多くの、各国の首脳が集まる、そういった状況の中で、その性格等を見きわめる。国会等の日程あるいはその他の日程との調整、またモスクワでの記念式典の中身、内容、そういったものを精査、吟味しながら、最終的に総理の決断であのような日程で訪ロをされたということでございます。 なお、その席次と申しますか順番でございますが、私も、なるほどということで初めて理解をしたわけでありますが、いわゆる英語のアルファベットでいいますと、日本はJでありますので、二十六のうち何番目になりますか、真ん中辺ということでありますが、ロシア語のアルファベット順ということになりますと、ロシア語はアルファベットではございませんのでここでちょっと答弁はしにくいわけでありますが、ヤポーニヤ、このロシア語をアルファベットで置きかえますとヤポーニヤ、つまりYから始まる、こういうことのようでありまして、私どもも、なるほど、ロシアではこういうことなんだなということを初めて理解ができたわけであります。したがって、ロシア語のアルファベットという表現が適当なのかどうかあれでありますが、ロシア語のあえて申し上げればアルファベットの順では最後の文字に当たる、こんなことであったようであります。
■武正委員 以上で終わります。ありがとうございました。 |
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