東アジアにいかに生きるか
2002年3月10日 民主統一同盟パネルディスカッション
■第一部・日米関係/「危なっかしい」単独主義と、どうつきあうか
【司会】
まず、日米関係からいきたいと思います。これは他の全てのことにも共通しますが、冷戦後のグローバル化―多分にこれは、アメリカン・スタンダードとかアメリカニズムと言われていますが―のなかで単一の市場が作られてきた、ここから起こる光と影、とりわけ影の部分の問題をどういうふうに解決するかということに、国際関係全体も移っていく、この転換点が9・11という形で象徴的に現われてきたと思います。
こういう中で日米関係をどう再設計していったらよいか。まず中西先生からお願いします。
【中西】
日米関係なりアメリカの対外政策なり、そうしたことと東アジアがどう関係するかということを、お話しすればいいだろうと思います。
九月十一日の事件以降、国際政治は大きく変わりました。その問題を中心にこの半年ばかり動いてきたんですが、今年に入って一月末に、ブッシュ大統領が議会での一般教書演説でAxisofEvil、悪の枢軸という言い方をして、イラクとイランと北朝鮮を名指ししました。
これがどういう意味を持ってくるのかということが、とりあえずは重要な問題であろうかと思います。
アメリカの場合、三権分立が厳しいほうですから、大統領が議会で演説する機会はそうありません。9・11事件の後の演説など例外的なものを除けば、一般教書演説というのはかなり重要な演説です。そこで特定の国の名前を上げて批判するということは、それなりに重みを持つということだろうと思います。
ただ、非常に厳しいレトリックでAxisofEvilと言ったんですが、実際に何をするかについては、はっきり言っていない。(それらの国が)大量破壊兵器を製造し、あるいは拡散する脅威になりうる、また(国際的な規制などを)待っていてもアメリカは受身になって攻撃にさらされる、だから待っているわけにはいかないんだという点で、厳しいトーンではあったんですが、具体的に何をするのかははっきりしていない。
今アメリカは、同盟国なり関係国なりの反応を見ながら、どういう手段をとっていくかを考えている、ということではないかと思います。
二月にブッシュ大統領は日、韓、中の三国を歴訪しましたが、やはり一つの意図は、この一般教書演説に現われていたような対外政策について、これらの国がどういう反応を示すか、意見を聞きたかったということであろうと思います。また今度、副大統領が中東を歴訪するようですが、やはり(名指しされた)三つの国の中で特にイラクが重要―アメリカが重視している国―だろうと一般に思われるんですが、そのイラクに関してどう行動をとるかについて、中東諸国の反応を見るというのが今の状況ではないかと思います。
つまり昨年は、九月のテロ事件後、例のアルカイーダなりビンラーディンなりを掃討することを目標にして、アフガニスタンを中心に軍事活動をしていたんですが、今年に入ってから、アメリカの政策方向が変わりつつあるかもしれない。その時に、イラクとかイランとか北朝鮮というのがAxis(枢軸)を形成しているかどうかは別にして、九月十一日以前からアメリカが現在の安全保障上の脅威であると考えてきた国々であることは確かなんです。そうした国をいっしょにして、大量破壊兵器の拡散という観点から、アメリカにとっての脅威だと整理したことは「新しい」んですが、ある面では、九月十一日以前までのアメリカの対外政策の焦点に戻りつつあるのかもしれない、ということだろうと思います。
ですから、今後アメリカがどういう方向に行くかということは、アメリカ自身が迷っているか、あるいは客観的に見て判断の分れるところでありまして、もしアルカイーダなり反アメリカ的なテロ組織が焦点で、これをやっつけていくということであれば、違った形の政策になるわけです。
アフガニスタンでは犠牲者も出ているようですが、基本的にアルカイーダをアフガニスタンにおいて掃討する、さらにそのテロ・ネットワークが、フィリピンとかイエメン、中央アジアといったようなところに広がっているわけですが、それを順番につぶしていくという形でやる場合と、Axis
of Evilをやっつけていくという場合とでは、アメリカの対外政策の方向がかなり違うだろうと思います。
もちろんそれを両方やるということも、アメリカの軍事力から考えれば、不可能ではないかもしれません。アメリカがアフガニスタンで示した軍事力の強大さというのは、確かにすさまじいものでありまして、軍事力だけを考えれば一強多弱と言っていいでしょう。
しかし現在の世界情勢を考えると、テロに対する戦いも、それから大量破壊兵器を製造・拡散しているかもしれない、そうした「ならずもの国家」の中でも極悪な「ならずもの国家」―アメリカの言い方によれば―にしても、そうしたものへの対処というのは、軍事力だけではなかなかやりきれないところがあるわけです。
だから、どれくらい政治的に同盟関係なり協力関係を築いていくかということと、軍事力をどれくらい使うかというバランスを、今アメリカは案配しているということだろうと思います。
そういう状況で日米関係を考えた時に、どういう態度を日本がとるべきかということは、国際的にも意味があることかもしれないという気がします。
アメリカの基本的な方向はブッシュ政権がこれまで示しているわけですが、具体的にどういうふうに進めるかということについては、よく言えば選択肢、悪く言えば迷いがあるわけです。
それについて同盟国がどういう態度をとるかということは重要で、その点で先月の小泉首相とブッシュ大統領の会談の中で、日本が改めて北朝鮮については日米韓の枠組みを重視すると言ったのは、当たり前のようで、それなりの意味があるだろうと思います。
つまり、北朝鮮についてアメリカが何かをする時に、日本と韓国と相談しながらやるという基本原則はとったわけで、その意味では、アメリカが一方的に何かをするということはない、ということを示しています。
全体的に日本の国益と国際情勢というものを考えた時に、アメリカがいろいろと手を出して世界の秩序を混乱させるというのは望ましくないんですが、なかなか正面からアメリカに「おやめなさい」とは言いにくい立場にあるというのが、わが国の客観的位置だろうと思います。
フランスやイギリスが文句を言うことがありますが、ヨーロッパの国はいろいろあって、それでバランスがとれているというところがあるんです。
非ヨーロッパのアメリカの主要な同盟国としては韓国、フィリピンなどがありますが、やはり日米関係というのは、わりと特殊というか、独自なものなんです。
ですから日本が正面から「おやめなさい」と言うと、「そう言うんだったら、日本は対案をお持ちでしょうね」と言われることになるわけです。
そうなると日本はいろいろできないことがありますので、「ともかくやめて欲しい」ということで頭を下げるということになるので、あまり説得力がないわけです。
ですから基本的にアメリカの方法を正面から否定せず、しかしその方向づけをうまくやっていくということです。特に地域の問題、あるいはイスラムの問題でもある程度そうかもしれませんが、アメリカやヨーロッパにない独自の視点を、日本は潜在的には持っているわけです。それがうまく政治、外交の面に出てくるかどうかは別ですが。
それをうまくつなげて、アメリカが過度に性急な方向に走らないように、にもかかわらず日米の同盟関係を基軸にして国際秩序を作っていくということ、これをグローバルなレベルでも地域的なレベルでもやっていくということが、とりあえずの日本の日米関係に関する課題かなということです。
【李】
とりあえず最初に日米関係について、二点ほどお話ししたいと思います。
大きく言って、日米関係を考える文脈が二つの点で大きく変化しつつあると、私は考えています。
一つは先ほど戸田代表もおっしゃいました。安全保障、セキュリティ、これは日本では軍事面に限定して考えるというのが長年の風潮です。そのため日本では、安全保障というとなんとなく議論しづらいような雰囲気があったと思うんですが、特に冷戦後、安全保障の概念そのものも大きく変化した。このことが一つ、日米関係を取り囲んでいるコンテキストとして存在するという点です。
もう一つは、私たちが日米関係と言った時には、日本とアメリカの抽象的な二国間関係ではなくて、どちらかといえばその文脈は東アジアなわけです。もちろんローバルな安全保障、地球的な問題群、そういうものに対する日米という意味合いも、当然あります。
しかし私たちが考え、あるいは日米という言葉が問題性を帯びてくるのは、東アジア、あるいはアジア太平洋、ここでの意味合いが問われてくると思います。
その東アジア、あるいはアジア太平洋の、地政学的な変化―以前のように完全に政治的な動きだけではなく、経済の結びつきも地理的な意味も併存しながら進歩していますので、地政学、あるいは地経学、あるいは地文化学という言葉もあるんですが、大きな地域と結びついた政治経済文化が一体となって、しかもその三つの次元が必ずしも一致せずに複雑な動きをして、そのなかで大きく変わろうとしているのが、今の東アジアだと思うんです。
端的にいえば、ライジングパワーとしての中国というものをどう考えるのか。その場合のライジングパワーというのは、必ずしも政治軍事だけではない。
私は最近、中国がソフトパワーだと思うんです。
この前ブッシュ大統領が中国を訪問して、自由とか民主主義とか、マーケットとか台湾問題とか、率直にいろいろ語っても、中国は(がまんせざるをえない状況も客観的にあるんですが)必死にこらえながら、柔らかい顔でアピールしようとしていました。これはただの外交的ジェスチャーだけではなくて、アジア諸国に対して、広い意味での経済力―経済の吸引力と言いましょうか―をベースにした、ある種のソフトパワー的な議論なんです。
私は非常に興味深い現象だと思うんですが、アメリカがある種の軍事一本やりに逆行するような動きを示している時に、おそらく中国は戦略的に、国際協調とか多国間協力、あるいは経済の相互依存等を非常に強調しているように見える。もちろん、その実態をどう考えるかについては、もっと踏み込んだ議論が必要だと思うんですが、少なくとも国際政治、特に東アジアの国際政治の大きな変化としては、注目すべき現象だろうと思います。
例えば韓国も、去年は日本に対する輸出よりも、中国に対する輸出が初めて上回った。韓国にとって、マーケットとしての中国は魅力があります。あるいはマレーシアの製造業に対する資本投資でも、ずっと日本が一位だったんですが、これが去年前半の八ヵ月で中国が日本を追い抜いたという統計を、東南アジアの新聞で読んだことがあります。
これは、大きなある種の変化の反映だろうと思います。結論的に申し上げたいのは、その二つの変化が今同時に進行しているということです。
少し付け加えさせていただきます。今世界的に問題になっているのは、テロとどう戦うかという問題だと思うんですが、これをもっと集約して言えば、9.11という事件をどのように考えるのか、どのように定義するのかということです。近年はやりの言葉で言うと、discourse問題の定義、考え方の体系、パラダイムとでもいいましょうか。
もともと冷戦後に、アメリカの安全保障政策の中で二つの考え方が対立していたということを、まず申し上げたいと思います。今アメリカの単独主義と世界、あるいは米欧対立が新しい対立軸として浮び上がっているところですが、アメリカの外交を専門としている立場からすると、冷戦の終わりを意識し始めた時から、アメリカの中で二つの考え方が出てきているのです。
冷戦の終結を導き出し、迎えたのは、レーガン・ブッシュの両共和党政権でした。
その時に安全保障戦略を中心的に担当した人が、今のブッシュ(ジュニア)政権で、だいたい一階級、二階級昇進してやっております。例えばウォルフォビッツという人は、以前は国防次官補だったのが、今は国防次官です。
レーガン政権末期の一九八八年、つまりゴルバチョフが台頭してソ連の変化が視野に入ってき、米ソ関係の歴史的な変化、冷戦の事実上の終結、これが見えた時に、アメリカの新たな長期な安全保障政策を文書としてまとめた中心人物がウォルフォビッツであり、またリチャード・パールという今の国防省の顧問、当時の国防次官です。
彼らがまとめた報告書は、直訳するとDiscriminate Deterrentですから差別的抑止なんです。以前のように、ソ連とか中国とか共産主義を抑止するという固定的なものではなくて、私なりに解釈すると、弾力的抑止みたいなものです。これから誰が(敵、脅威として)出てくるかわからないので、柔軟な対応をとって差別的に抑止ができるようにすべきだと。
その文章をよく読んでみると、当時は中国はまだ弱くて日本が上り坂でしたから、将来の脅威としてはドイツか日本か、中国も長期的には脅威だろうが、ドイツと日本が(脅威となる)可能性が高いかもしれない、ということを延々と書いているわけです。そのためにはアメリカがハイテクノロジーを取り入れて、軍事力の優位を築くべきだというのがその報告書の趣旨で、その時に今のブッシュ政権につながるテーマがあるんです。つまりある種の単独主義です。
同盟などは従属的なものであり、国際機構よりもアメリカ単独の力による秩序の維持能力、それを裏支えすると。当時から、今はITと言われているハイテク技術を軍事にどのように転用するのかということが問題になっていて、標語となっていたのが「スターウォーズ」、SDIです。
今のミサイル防衛のNMDもこれは一種のシンボルで、私の言葉で言えば、アンブレラ・プロジェクトなんです。つまり、わかりやすくて国民に売り込みやすいテーマなので一生懸命やるけれども、実際にミサイルを撃ち落とす可能性が五年、十年で実現するとは誰も思いません。
ただそういうアンブレラを持って、ハイテクの軍事体系の整備をやりたい。それによって宇宙にも一定の軍事化が進み、これまでとは全く次元の違う軍事体系への移行―最近の言葉で言うとRMA(軍事革命)と呼ばれること―ということが、当時からの一つの考え方でした。
その後のブッシュ政権の時にも、ウォルフォビッツ自身が五ヵ年の国防計画指針で、アメリカの単独主義とそれを裏付けする軍事力の優位というものを策定しました。九二年、ちょうど湾岸戦争の勝利の後ですけれども、それを受けて湾岸戦争タイプの戦争をハイテク的に展開することを中心に据えた国防計画を、国防次官補であるウォルフォビッツが作ったわけです。
その内容があまりにも既存の同盟に対する概念と抵触したので、ニューヨーク・タイムズにスッパ抜かれました。
アメリカは面白い国で、内部で議論があると必ず、ニューヨーク・タイムズかワシントン・ポストにリークされます。反対する人は、リークして議論を起こしてつぶしたりする。そういう意味では、私はアメリカは民主主義的な国だなとつくづく思うんですが、その時のニューヨーク・タイムズのタイトルが、「Alone
Super Power Doctrine」 つまり単独のスーパー・パワー・ドクトリンでした。
これに対して、これからの国際政治を考えた時に問題があるという批判が起き、その議論ではウォルフォビッツが負けました。最終的に報告書は国際主義を取り入れたもので、国連を重視していかなければならないとか、そういうふうに落ち着いたんですが、それがアメリカの中で冷戦の終結から一貫して存在する新しい安全保障観の一つであります。
この特徴は、ちょっと教科書的に分類するとややリアリスト的であり、国益重視であり、実際の政策の施行を見ても、グローバルというよりもどちらかというと、ある人はそれを経済的な面でも西半球主義と表現していますが、つまりWTOとか世界的な経済システム、グローバル・ガバナンスというものよりも、ある種のブロック主義的な考え方がブッシュに強いという批判、あるいは懸念も存在します。
もう一方は、クリントンの時に出たり出なかったりしたもので、少なくとも大統領選の経過を見ると、言葉の面では民主党のゴアの方は自らをグローバリストだと言ったり、これからの課題はグローバルなアジェンダであると言っています。
ゴアはクリントンの末期からそうだったんですが、アフリカの飢餓問題とか、失敗国家、破綻国家の問題なども、アメリカが国連と組んでやらなければならないと考え始めた。つまりグローバルな、地球的な問題群に対するグローバル・ガバナンスの問題を、安全保障の大きな問題として取り入れて取り組むべきだという考え方が、アメリカの中でももう一方にありました。
どちらかと言えば、いわゆるリベラルと言われる人々が多かった。クリントン、ゴアが、その観点から整理された安全保障概念を確立できなかったという面もあります。
私は九八年から二〇〇〇年の二年間、プリンストンで研究しながらいろいろな人の話を聞いて、安全保障の専門家たちは、クリントン民主党政権を、「安全保障の素人たちが、エイズがこれからの脅威だとか、冗談じゃない」というふうに怒っていたんですね。
クリントン自身も安全保障のアドバイザーは弱かったですし、抽象的な概念の提示はしましたが、そこからそれを政策化することはできなかった。ヨーロッパで冷戦後に生まれた、いわゆる協調的安全保障という言葉を取り入れる形で、クリントン民主党政権はそれを何とか提示しましたが。
こうした二つの傾向があるということです。
みなさんもまだ記憶にあるかと思いますが、このテロ事件が起きる直前まで、問題になっていたのは、反グローバル化運動だとか、グローバル化の影の部分に対する批判が非常に高まっていたということでした。それに対する対応として出てきた概念が、協調的安全保障です。
協調的安全保障のポイントは二つです。
一つは安全保障の主体が多元化するということです。国家だけではなく、NGO、あるいは国連など、重層的に主体が多元化せざるをえない。それと裏表になっているのは、安全保障の争点自体が非常に多様化しているということです。
これは軍事の問題だけではなくて、日本の外務省も人間の安全保障というものをホームページに掲げておりますが、これからの安全保障というのは個々人の生活に直結する開発問題も安全保障だというのが、大きな流れとしてあったわけです。
9・11は非常に劇的な事件であったわけですが、見る角度によっては、グローバル化の影の部分を放置すれば、そこから破壊的な動きが出てくるので、それを何とか退治しなければならないという、ある意味で協調的安全保障、人間の安全保障の切実さをより強調した事件だというとらえ方も可能であるし、そういう主張もあります。
それに対してブッシュ政権は、自らの軍事的な優位を確立し、冷戦後の非常に混沌とした世界での確実な秩序形成の主体として、アメリカ単独の秩序―国際機構などにしばられない―というものをもう一つの次元として作らなければならない、という考え方です。その方向を実証するものとして9・11をとらえ、そういう対応をとってきたと思います。
9・11から世の中が変わったという議論は、ある意味では非常に意図的に操作された概念で、逆に9・11をもたらしたさまざま流れというものは、既に冷戦が終わった後からでていたわけです。例えばこれまで述べたように、どのような安全保障体制を築くのかという議論はずっとあって、それをめぐる二つの流れが9・11で交差して、今のブッシュ政権は自らの思惑からそれに対応していると。
もちろん政治家ですから、何か起きた時に何も考えずに原理的に対応するとなると、政治家としては失格だと思いますし、次の選挙のことも、アメリカの国益も、自分の出身母体である石油企業の利害も考え、動くというのは、これは政治家としてある意味では自然な反応でありです。
ただどのようにバランスをとるかということが問題だと思います。もともとアメリカは異常なほど、グローバルパワーとしてのポテンシャルを持ち、同時に内部にバランスをとるさまざまなメカニズムを持つ国で、それが二十世紀をリードしてきた国としてふさわしい形なんですが、今回はアメリカがあまりにも劇的な形で被害を被ったので、アメリカの大衆自体がバランス能力をかなり失って、外から見ると危なっかしい動きを相当している。
長年アメリカを研究してきた者として、アメリカは全くだめだという単純な立場は私はとりませんが、今のアメリカはグローバルパワーとしてのポテンシャルが非常に危なっかしい、危うい動きを取りやすい、そのような状況だということを考えて、世界の国がどのようにバランスをとっていくのかが課題だと思います。
【武正】
私はこれまで松下政経塾時代に一年間、中国に留学したという経験がございます。
北京と西安の間の内陸部にある山西大学に、一年間おりました。これが一つ、私の経験として大きなものになっております。
また国会では、沖縄北方特別委員会の理事も仰せつかっており、二月七日の北方四島返還国民大会の翌週に、百五十万名の署名を衆議院にお持ちいただいた時の紹介議員が、鈴木宗男議員と私でした。そこで「二島返還、四島返還」の大バトルもあって、私も割って入った経験もあります。
過日、沖縄に行きまして、四軍調整官(在日米軍の指揮官。四軍とは陸、海、空軍と海兵隊)に、海兵隊の基地をアメリカに分散できないか、そんなやりとりをして参りましたので、それも交えて話をさせていただきたいと思います。
今の李先生のお話を引き継いで少しお話しします。井上陽水の歌で「少年時代」というヒット曲があります。私も好きなんですが、その原作となった本を読む機会がありまして、これは米ソ冷戦が崩れた今の世界を現わした本だなと感じました。
クラスに二人のガキ大将がいて、この二人によってクラスの秩序が保たれていた。
ところが一人のガキ大将がある種のクーデターによって力を失い、ガキ大将が一人だけになった。その傘下にいた主人公は、「これでやっと平和が来るな」と安心したら、そのとたんに、今度はたくさんならず者が出てきて前より悪くなってしまう、という内容なんです。
先日、国会でブッシュ大統領の演説を聞きました。レシーバーも置いてあったんですが、どうせなら生で聞こうと(私もそれほど英語力は強くないんですが)。その時にやはり同盟、同盟ということをずいぶん口にするなと感じました。
確かに中曽根さんの「不沈空母発言」以来、日米同盟という形は当たり前になってはきているんですが、日本国内では日米安全保障条約、アメリカから見れば同盟、アライアンスということで、外務省も政府も、日本向けの用語・顔と、アメリカ向けの用語・顔、これをかなり使い分けている。そして憲法の下で、日本は集団的自衛権は持っているけれども行使できないんだと、こういう非常に苦しい言い訳を続けてきた。
こうしたところが、今回の外務省の外交姿勢にも現われておりまして、このように外に向けた顔と、内に向けた顔が違うというようなことは、国民をあざむく以外の何ものでもないと思うわけです。
またその時の演説では、コンペティション、競争ということも、非常に押し付けがましく言いました。「親父さんと変わらないな」と思いました。親父さん(ブッシュ元大統領)が九二年に来日した時は、自動車メーカーの社長連中を引き連れてきて、圧力をかけた。私は今回のブッシュの演説は、やはり柔らかい外圧だなと思いました。
日本に圧力はかけないと言っていたブッシュ外交ですが、やはり圧力をかけているなと感じました。
それから台湾との連携を口にしたのはもちろんですが、中国に対する言及が演説の中で多かったと、私は感じております。今回の歴訪は大事な順番に来た、日本、韓国、中国という言う人もありますが、私はうがった見方ではありますが、大事な順番は後からだと。やはり一番の目的は中国ではないか。上海(APEC)から半年もたたずにまた中国を訪れるわけですから。
そういった意味で、日米関係で言いますと、やはり一九七三年のキッシンジャーの米中和解、これが日本の頭越しにされたわけで、当時日本は香港経由の水鳥外交だと言われていますが、やはり日本の地理的位置からいうと、米中接近というのはやはり日本の国益にとっては問題ありということです。この米中の間にきちっとある種のクサビを打ち込むということは、日本の国益を考えると大事なのではないかなと。
私も中国に一年間行っている中で、ある面で中国とアメリカというのは近いところがあると感じています。大国意識とか、中華思想という言葉がありますが、アメリカも今世界の中心、スーパーパワーという意識がございますので、ここがくっついてしまうと、日本にとっては非常にやりづらいところがあります。
そういった意味での日米関係をどう構築するか。
9・11を経て、日本としては精一杯の形で後方支援を決定したわけです。私は民主党ですから、保守系の改革派として当然(特別措置法に)賛成するものだと、いかに社民党系の方々を説得するかで、二週間毎日のように議論を尽くしていたら、いつのまにか十月十五日の小泉・鳩山会談は外堀が埋められて決裂ということになりました。翌日に、反対しなければならないというのも、保守系は党内融和ということで認めたわけですが、二十数名の造反が出るといったことがありました。
ところが先日、アメリカが対テロ作戦での協力に感謝すると発表した二十六ヵ国のなかに日本の名前がなかった。われわれ若手議員からすると非常に落胆したわけで、アメリカ大使館に抗議に行ったりもしました。日本の名前がなかったのは、イージス艦の派遣をしなかったからなどと言う人もいますが、しょせん日本の国際社会における立場は、集団的自衛権を行使できない中では、二十六ヵ国に名前が入らないというのは、アメリカから見れば正直なところなのかなとも思います。
このようななかで日本が、日米関係をどういうふうに構築していくのか。米中の間に立つ日本、そしてまたアジアの中での日本ということで、もっともっと工夫があろうかと思っています。
また日本の経済力というのは、国際社会での大きなパワーになりますので、このように今日本の経済がジリ貧になってしまうことは、やはり日本の国益上、また安全保障上も問題があると思います。
あるいはエネルギーや食糧、こういったものでの安全保障も大変重要ですので、中国のことも視野にいれつつ、日本が食糧、エネルギーというものをいかに自立ということも含めて戦略戦術を立てていくことが必要ではないかなと思っています。
■第二部・日中関係/ライジングパワーとしての中国を、東アジアの枠組みのなかに■
【司会】
アメリカについてはよく、一強多弱と言われます。基軸通貨としてのドルと「世界の警察官」たる軍事力が圧倒的なスーパーパワーです。これが世界の利益のために動いてくれるなら問題ないのですが、例えば「悪の枢軸」発言ですぐにそこまで行くとは思いませんが、イラクに対する攻撃ということが具体的視野に入ってきた場合は、今の中東情勢との兼ね合いで大変なことになってくる。
あるいは対テロ戦争でアメリカが使った論理、つまりテロでやられたんだから、その前に自衛のためにテロリストの拠点を叩け(国連決議などの「手続き」を踏まずに)という論理であれば、イスラエルがパレスチナで今、それをやっているわけです。
こういうアメリカのスーパーパワーをどう使いこなしていくかという知恵が、非常に求められていると思います。これまでは、アメリカ国内の民主主義システムの中である種バランスが取れていたものが、今回はどうも危ういと。ヨーロッパはNATOとユーロという形で、ある種のバッファーというかコントロールする一つの仕組みにしようとしていると思います。
そのことは後で、第三部・東アジアのところで少し議論を進めたいと思うのですが、ここでは武正さんからもお話が出ました、中国に話を進めたいと思います。
中国も、このグローバル化の中からもう逃れられない、良いにしろ悪いにしろ。今から鎖国してとはいかないわけですし、七%成長を維持しながらなんとか乗り切っていくということを、このグローバル化の中でやっていかなければならない。天児先生がおっしゃっていたような国際協調主義(第35回定例講演会『日本再生』二七四号掲載)というようなものも出始めているという、非常に微妙な状況に入っていると思うのですが、こういう中国をどう捉え、関係構築していくのか。東アジアという枠組み、あるいは国際社会という枠組みの中にどううまく組み込んでいくか。
こういうところから、日中関係あるいは日米関係をどう考えればいいいか。
【中西】
李先生、武正さんとだいたい同じですが、中国がソフトパワーというのは、あるのかもしれないけれどまだそこまでは難しいかな、と私は思います。
ソフトパワーが重要だと思っているというのは、確かだと思うのです。ただ実際、それが影響力があるかどうか。確かにアメリカがハード面を重視しすぎるきらいはあると感じているのですが、それでもやはり中国のソフトパワーというか、他の国が中国を好きといえるところまで来ているかというと、中国はがんばっていると思いますが、まだまだじゃないかなという気がします。
やはり中国については、安全保障の問題と経済の問題を分けて考えた方がいいのです。
安全保障については、確かに五、六年前に比べると国際的な対話の場に出るようになったと思います。以前はわりと一国主義、自主独立主義でやりますということだったのですが、ここ数年の間に、例えばARFがアジアでは安全保障の多国間対話の場ですが、そういうところにもわりと熱心になりました。それから安全保障が中心ではありませんが、ASEAN+3というASEAN各国と日、韓、中という枠組みでも、中国はわりと熱心にやっています。
それから朝鮮半島をめぐる問題では、中国は北朝鮮が国際的な問題要因にならないように動いている、と言ってよかろうと思います。このように多国間主義に、かつてより興味は持っているのですが、やはり軍事力に対する基本的な発想、戦略的な発想ということになりますと、まだまだ発想が古いと言いますか、毛沢東主義とは言いませんが、自主独立でやっていくというところが強くて、そこのところは中国に変えていってもらわないといけないと思います。
例えば台湾の問題でも、建前として、台湾に対する攻撃をしないということは言えない、ということは分るんですが、どうしても台湾を取り戻したいと思うならば、武力を使うという話をするのは、政治的に生産的ではないと思うのです。
そのことは、中国の指導者にとっても国内向けの発言でありまして、台湾の主権は絶対譲れないという強い構造をつくらなければならないということが、国内的にはあると思うのです。しかしそういう方法をとっていることが自己実現的予言と言いますが、引くに引けなくなってしまうという危険性はあるんですね。
ですから安全保障の問題については、中国の軍事力を何に使うかということと、一強多弱と言いますけれども、アメリカの圧倒的に強いハイテクを中心とした軍事的な進歩に中国が追いついていこうと考えると、中国の経済発展にとって重要なところであるのに、そこに非常に大きな負担になりかねないと思うのです。ですから中国自身の利益を考えても、自主独立というのはそこそこ抑えてもらって、緊張緩和をしながら、軍事力をある程度養成するというのは仕方がないことだと思いますけれども、転換してもらわねばいかんと思います。
その点では、日本は中国の軍事力に対して過剰反応すべきではないですが、言うべきことは言うと、筋を通すのがよいと思います。例えば台湾の問題についても、政治的には中台関係というのは両者の間の話だから日本は関わらない、お互いにできるだけ話し合って欲しいということです。
しかし、サーベル・ラトリングと言いますが、やたらガチャガチャと刀を鳴らして話をするというのは、日本も落ち着かないわけです。台湾海峡は沖縄のすぐそばですから。やはり日本に影響のある話でもあるので、かつて台湾を植民地支配したからといって何も口出しするなというのは、やはり地域的に近いパートナーたるべき日本と中国の間の関係ではまっとうではないと思うのです。
ですから中国に対して言うべきだと思うし、例の北朝鮮のものと思われる不審船が中国の排他的経済水域の中で沈没していますが、あれも基本的には、日本の領海及び周辺海域において一定の不審な行動なり脅威になりうる行動をしているわけですから、それに対して調査をするというのは、日本にとって論理が成り立つ話だと思います。
そういうことでやりますと言って、中国で批判が出るかもしれませんが、それは実務的にやればいいと思うのです。北朝鮮と中国の軍事的なつながりを考えると、表に出しにくいこともあるのでしょうけれども、やってしまえば存外、中国はそれほど文句は言わないのではないかという気がします。
そういうことで日本は中国と、安全保障の問題については実務的な関係で言うべきことを言う、軍事力を使いすぎるのは賢明ではないし、ミサイルをたくさん南部の方に配備するのは賢明ではないですよと言うことは、いいだろうと思います。
経済のほうは、先ほど李先生が実例を取り上げられていますように、中国の経済プレゼンスがアジアの中で大きくなっているということは確かなんですね。東南アジアとの関係でもそうであります。
僕は基本的には、東アジアの経済は互恵であると思います。中国が伸びれば日本にも得になるということが基本であって、むしろ日本がこの苦しい不況から脱出していくには、中国だけではなくて東アジア全体の経済が伸びていってはじめて、日本もある程度回復できるのです。
日本の場合はある程度飽和して、投資機会がないというのが経済の基本問題であるわけですから。その中で不良債権だけを解決したからといって、個人消費が伸びて景気がよくなる、というのは難しいだろうという気がするわけです。その点では伸び率がありそうなのは東アジアの国々ですから、そこと互恵的に伸びるということでやっていけるでしょう。
それから、日本経済の強さの中心はやはり製造業だろうと思うのですが、製造業もだいぶ性質が変わってきていると思うのです。かつてのように、例えばトヨタ、ホンダ、日産とか日本製の車を作ってフォードとかGMに対抗するということではなくて、基本的にパーツというのは世界的に分業して作っていますから、ホンダであろうがトヨタであろうが必ずしも日本でつくっているわけではないんです。
ですから製造業というのは、ブランドのイメージやデザインとかスペックを決めるというような技術標準を持つということが重要で、あとの部品についてはある程度、国際分業で東アジアの中で分けてやっていかないと仕方がないと思います。
そうやっていっても、日本の製造業というのは部品のスペックを作る部分でも、非常に高度なものをつくる部分ではまだ比較優位があると思いますし、またデザインとかブランドイメージとかいうものではアジアの中で強いものがあると思いますから、それを生かしていけば、それほど中国にたくさん投資がいっていること自身が問題ではないと思います。
ただそこで問題は、中国は典型ですが、東アジアに投資をするときに投資環境が先進国と違うということです。ですから投資をしてみても、うまいこといくかどうかわからないわけです。特に政治的に法整備の問題、あるいは政治環境の変動がどういう影響を及ぼすかというリスクが高いわけです。そこのところはある程度、政治が積極的に関与する、例えば投資保護協定というものをWTOの協定に加えて、東アジア間でASEAN+3という枠組みをつくっていくということもありうると思います。
最終的に政治がリスクをとるということで、東アジアの中の国際分業を民間が進めるような環境をつくってやるということがいいのではないか。中国だけでなく、ASEANとも韓国とも、そういう分業をつくっていく。中国だけに行ってしまうと依存関係が強くなってしまいますが、東アジアの中でバランスを取っていくということで、むしろ日本の経済はよくなるのではないかと思います。
ですから日中関係について言えるのは、安全保障の問題について日本は言うべきことを言う、するべきことをするということで基本的にはよいと思います。経済の問題では、正直言って、ネギや畳表を守るためにセーフガードをするのか、というのが私の考え方なんです。
日本の農業の生産性がもっと高くならなければいかんという方が重要で、あるいは日本の金融部門がきちんと機能していないということが、マレーシアに対する中国の投資が日本の投資を上回っているという状況なんで、そこをきちんとすれば、日本は外からくるのにやられるというのは基本的にはないと思いますので、そちらの方が問題でありまして、そのあたりは個別利益にとらわれず大局的に動けということで、経済の方は考えるべきだと思います。
【李】
三つ申し上げたいと思います。中国と日米ということです。
第一点は、この二十年で見ると中国は大きく変化してきた。これは誰も否定できないと思います。端的に言えば、二十年前の中国、三十年前の中国は今の北朝鮮より何倍も大きくて何倍も危険ではないかと。見方によっては原爆も持っていますし、文化大革命という強烈なイデオロギーのただ中にあった、あるいはそれをひきずっていた、そして毛沢東自身が存命で国を率いていました。その後の中国は改革開放政策で、目に見えて変わってきているのが分かります。
私は十八年前に日本に留学に来ましたが、ある時期から気づいたことの一つは、「いい国」のひとつのインディケーター(指標)があるとすれば、それは堂々と自分の国の悪口を言える人がどれくらいいるのかということであるような気がしたんです。しかも外国人相手に、あるいは外国で自分の国を、それも政府についてだけでなく、批判的に言う人がどれくらいいるか。
韓国から来た私の自己反省も含めて日本を見ると、自虐的と思えるぐらい、日本について自己批判する人が多い。それは、私にとって新鮮な衝撃だったんです。(自分の国について)突き放して考えている人が多いというのが新鮮な衝撃で、それが私の学習材料の一つになりました。アメリカもそうでしたし、それが懐の深さだと思います。
最近、日本でそういう言い方が少なくなって来ているのが気になっていることと、9・11以後のアメリカは極端に少なくなっているんですね。
そこから中国を見ると、そういう方が着実に増えております。まだまだ韓国、日本に比べると中国の方が公、あるいはプライベートでも自分自身について批判的な視線を向けるということは少ないというのが、変化でもあり問題点でもあると思います。
こうした変化に何が貢献したかと言いますと、もちろん鄧小平という指導者がいたこともありますが、日本とアメリカの関与政策なんです。
当時は、ソ連封じ込めという冷戦期の目的があったのですが、アメリカもニクソン以来中国に対する関与をしました。それは政治戦略的なエンゲージメントでしたが、実際に中国に対してODAをはじめ経済的な支援を与え、中国が改革開放に向かうときに、ある種のマテリアル・ベースを持続的に、安定的に提供したのは日本だといってもいいと思うのです。
単純化して言えば。日本の巨大な関与政策のある意味での成功例だと思うのです。それは当時、ソ連という戦略的要因があったからであって、冷戦が終わった後アメリカがふらついているのは事実です。中国との関係をどうするのか。関与政策の流れもあれば、封じ込めもあった。
私の観察では、少なくとも九〇年代の半ばぐらいまでは、まだまだ日本は自信があった。九〇年代の半ばまでは、日本はアメリカよりも、冷戦が終わった後も中国に対する関与政策をむしろ強化する政策を取りました。天安門事件の後に制裁解除を主動したのは海部首相のときの日本で、それは中国から見て非常にある意味ではありがたい、感謝されていることだと思うのです。
それと裏腹に、そのときは中国がどれくらい伸びるかということに対しては懐疑的な見方が多くて、中国が弱体化して混乱すると困るからという考え方があったので、かえって支援したということもあります。
ちょうど九〇年代の半ばぐらいから、中国に対する評価が日米共に逆転し始める。天安門事件の後、もっと混迷すると思っていたら予想以上に早く立て直し、しかも安定的に伸び始めるということが、日米の中に複雑な反応を引き起こした。
とくにアメリカの安全保障コミュニティーから、中長期的な中国脅威論が浮上し始め、さらに日本も冷戦が終わってからの十年、政治が迷走し、リーダーシップがさまようことと並行して、日本経済の落ち込み、日本全体の落ち込みが予想以上に早かったので、日本の実体以上に中国に対する懸念、恐れ、そして日本に対する自信喪失が悪い相乗作用をした。中国脅威論が実体以上に強く、それから日本も自分に対する評価が、私から見ても実体以上に低いというのが、一つの大きな問題であると思うのです。
そのような評価があるので、アメリカも中国脅威論に対抗するための地域システム再編の軸に日米を据えようとしている。これが、今のブッシュ政権になって表面化したものだろうと思うのです。そのような観点を踏まえて、この中国の台頭というものをどのようにみるのか。果たして短絡的に脅威と考えていいのかということを、第一点として疑問に思います。
今、日本の政治が混迷し、リーダーシップが混乱している中で、短絡的な反応として(中国脅威論が)出てきているという色彩があると思います。
第二の点は、中国の外交、軍事戦略をどう評価するかということです。
これは、私は中西さんがおっしゃったことに基本的には同意できるのです。つまり中国の今の安全保障戦略がソフトパワーだと申し上げているのではありません。
外交政策での単独行動主義は、大国しかとれないのです。日本が単独行動主義と言っても実体はないですし、韓国は考えることもできないのですが、中国はそういうふうに考えているんです。ある意味ではユニラテラリズムだと思います。中国は今のところ国際協調といっているのですが、外交の方向性からすると、ユニラテラルな傾向が非常に強い。
九七年からARFなどに関わりを持つようになりましたけれども、例えば九七年のアジア通貨危機を契機にして、小渕首相と金大中大統領との緊密な連携によってASEAN+3というものを立ち上げました。プラス・スリーが眼目ですが、日韓中の三国でなんらかの枠組みを作ろうとしたときに、中国は今にいたってまだ積極的ではないのです。
地域に何らかの枠組みを作るというときに、アメリカもそれほど積極的ではない。ユニラテラリズムの国は大体そうですが、中国もいまのところそれほど積極的とは言えない。どちらかというと、自らの一方的関与で引き離したいということなので、ASEANに対する自由貿易協定の提案も地域全体というよりも、中国とASEANという考えですね。韓国に対しても似たような提案をしています。
ところが、韓国とかASEANの国からするとそういうことではなくて、もっと地域の枠組みを作りたいと。私が最近シンガポールに行って話を聞いたときも、韓国も歴史問題で摩擦はあるけれども、総合的に言うと、日本は必要以上に落ち込んでいるのではなく、アジアに積極的に展開したらどうか。
語弊を恐れずに言えば、そのような発想が東南アジアに非常に強いのだと思います。
中国の台頭という問題を考えても、これは必ずしもバランス・オブ・パワーという考えではなくて、日本と中国がいびつに非対称になって、お互いにユニラテラルな動きをするのはよくないと。何らかのシステムを作りたいということが、アジア諸国の中では非常に強い。そのためにも、日本がもっと積極的に展開・関与すべきだと思うのですが。
なかなか政治の空白どころか、外交は空中分解になっていますので、外務省の方にもいろいろ考えはあるようなんですが、その後どうなっているかわかりません。
例えばASEAN+3でも、小渕首相の時は何かしようと思ったのですけれども、小渕首相が急逝した後、その後の総理大臣がなかなか外交について考え方を持たずに、しかもこれも長い説明が要ると思うのですが、私から見ると、どちらかというとやや普遍的なナショナリズムのアジェンダに基づいて国家体系を再整理するというのでしょうか、そちらの方に重点を置いたように思えたんですね。それによってアジアとの断絶というものが表面化してしまって、なかなか日本・アジアの連携、日韓の連携などが難しくなったということがあると思います。
そういう意味で私が申し上げておきたいのは、中国は非常に大きく、大国としてユニラテラルな思考を持ち、依然として強いナショナリズムと軍事志向を持っている。中国には被害者意識が非常に強いというのは、韓国の目から見てもヒシヒシ感じるのですけれども、これも長い年月をかけて変えていかざるを得ない。さきほど中西さんがおっしゃった通りです。変えるためにどういうことをしたらいいか、ということが問われるのだと思います。
三点目に、それに対して日本あるいは日米がどうするか。今日の本論、あるいは結論でもあると思うのですが、まず日米に限って言いますと、私の表現ですが、日米は例えば九六年に日米同盟を再定義したときも、一方ではガイドラインなどの軍事的なものの具体化、整備が進められたのですが、もう一方で共同宣言を見るとグローバル、リージョナルな問題に対する共同対処をあげています。これは安全保障概念の巨大な変化―さきほど申し上げた協調的安全保障への巨大な変化の流れ―の中で日米同盟を位置づけようとした。
そのことが、日米共同宣言に非常に明確に出ているんです。
そこでは、日米は海洋の秩序とか、麻薬とか、そういう新しい安全保障課題にも積極的にアドレスすべきだということが書かれている。その部分が、どこかなくなっている気がするのです。それは大事な点であり、さらにそれがグローバルな、リージョナルな、新しい安全保障の課題―new
security agendaと呼ばれるものです。
それらに対しては日本単独、アメリカ単独ということでは非常に難しい、しかもそれから演繹して言えば、日米という二国間だけの枠組みでいいのかということもあります。同盟関係として日米を選択するのはそれぞれの国の選択であり、それに軍事的な重きを置くのもそれぞれの安全保障の判断ですが、同盟を地域、あるいはグローバルな公共財として位置づけるのであれば、少なくともそれにふさわしい形を整えていくべきであると、私は思います。
日米はバイだといいますが、アメリカのような超大国とのバイとの関係は、事実上はユニに近いわけです。日米間では日本がアメリカにモノを言えないというお話がありましたが、米韓では韓国は文句を言えませんし、米豪でもオーストラリアが文句をそんなに言っているとは思いません。アメリカとの同盟関係とはそういうもので、このように安全保障全体が変わろうとしているときには、地域の課題にアドレスできるような何らかの協議機構というものを、少なくとも並行して考える必要があると思います。
アメリカの共和党に近いシンクタンクであるランドの報告書でも、二〇〇〇年に出されたもので、multi-lateralazationという表現を使ったんですが、日米同盟を含めてアメリカがアジアに持っている二国間同盟を多国間化すると。言ってみればゆるやかなNATOのように、アメリカの持っている二国間同盟を横に連携させるという協議機構です。
これは、安全保障の問題そのものの変化に対応するためにも必要であり、ランド報告書にもやや暗示されているんですが、もはやそれぞれの国が急速に民主化していく、地域全体が地域のアイデンティティーを文化・経済的に持ち始めている時代において、例えば日米同盟、米韓同盟が中国への抑止力という非常に軍事的なニュアンスの強い部分で突出して存在するのは、日本にとって政治的な負担を意味しますし、地域にとっても日本に外交的な負担になると、報告書の行間をよく読むと書いてあるんです。
つまりこのような変化する状況の中で、日米同盟が抑止の意味で特化し、突出するということは、国内政治的に、外交的に果たして賢明なのかどうか。これをアメリカ自身も考えている。一部ではもっと軍事中心に特化したいという考え方もあるのですけれども、総合的に考えたときに、そのような形が果たして望ましいのかどうか、ということになるのだろうと思います。
これが私の最後の点でありますが、アジアにおいて日米が持つ意味というものをどのように制度的に、あるいは実体的に広げていくのか。その場合にそれが古典的なNATOのような形になると、中国との非常な緊張関係を誘発しますので、そこではある種の多重的な作業が必要だと思います。
【武正】
私が中国に行ったのは一九八五年、昭和六〇年の九月から一年間でした。
昭和六〇年というのは、中曽根首相の公式参拝の後だったんです。ですから会う人会う人が日本外交について、「われわれは留学生なのに」と思うほど、臆面もなく堂々と批判されるわけです。これが中国外交の強さのひとつになろうかと思っております。
日本だったら、中国とか海外からの留学生に対して、大人げないから仲良くしようよと、あまり面と向かって相手の国の外交姿勢を批判しないと思うのです。これがある面、日本外交のしたたかさがない所以かなと思いますし、日本国内の住みやすさといったところであろうかとも思います。
私が行っているときはちょうど、ベトナムとの戦争状態が続いているという中で、ベトナムに送られた兵士の歌が流行っていたり、それから今でもやっているのでしょうか、大学では軍事教練をしておりました。月に一回ぐらい、人民服を着た学生さんたちが、もちろん男性も女性も関係なく、匍匐前進などをグランドでしているという状況でした。
私は留学生でしたので、当然日本からお金を留学生費用として送っていました。その留学生の環境が、日本で聞いていたのと違うということがよくあるのです。そういうときに、留学生の代表として交渉に当たるんです。ところが中国側の担当者の言うことに、だんだん負かされていってしまうことがあるんです。なぜかなと。
よく日本が中国と交渉するときにどうも下手だと。どうも相手の言い分に負けてしまうと言われます。それは戦前、日本が中国にしたことに対する良心の呵責から、どうしても交渉が弱腰になってしまうという話があったのですが、私は昭和三六年生まれですから、日本が中国をはじめとして戦争でやってきたことにいろいろ非難されるところがあったとしても、やはり次の時代を見据えて建設的に行きたいという立場で行っていますので、どうも良心の呵責ということではないなと。
考えてみますと、さっき話しましたように、相手が留学生であろうと、相手の国の外交姿勢を堂々と批判する。あるいはまた交渉力というのは相手に対する説得力、人の前で喋るしゃべくりの力、あるいは表現力であるわけです。
中国では三歳ぐらいの子どもたちが、人前で堂々と歌を歌ったり踊ったりるのです。日本に帰ってきて、中学生の教室の風景をテレビなどで見ますと、手を挙げるときも、回りを見ながら手を挙げる。じつはこの教育力というものが日中間の交渉、あるいは外交を考えるときに大事だなということを大変感じたわけです。
松下政経塾の出身議員で朱鎔基さんと三年前から定期的に話をしようとやっていまして、昨年十二月にも三日間行ってきました。一昨年九月から毎年行っています。
一昨年にはちょうど調査船の問題がありましたので、その問題や日本からのODAについて話しました。北京空港や上海空港の三分の一ぐらいが、日本のODAでやっているのに、全然その話をしてくれない。そういったことを直接言いました。また朱鎔基さんがその後日本に来ることになっていたので、江沢民さんの例をとって、歴史的な問題とか政治的な問題をいろいろやるとリフレクションがありますよと、やんわりアドバイスをしました。来日された時には、TBSでの討論とか、わりにうまくやって帰られたかなと思います。
昨年は靖国問題や教科書問題がありましたが、一昨年かなりその問題はやりましたので、経済問題に絞りました。WTO加盟の翌日で、朱鎔基さんもその問題を取り上げませんでしたので、経済問題ということでやりました。
セーフガードの問題を中心に、通貨の問題、元の切り上げの問題など、二時間ぐらいいろいろやり取りさせていただいたんですね。アジアでの共通通貨ということも提案して来たわけです。
そうしたこともふまえての私の感想ですが、これは一月二十日の日経に京セラの稲盛さんがかなり大きく書いています。京セラは今、三五%中国で生産しているのですが、これからは「やせ我慢」であっても、中国あるいは海外での生産が四割、日本が六割、この生産体制を守っていきたいと言っておられます。今どんどん日本が空洞化して、第二次の中国投資ブームとなっておりますが、ユニクロのように人件費が安いから中国で生産して、それを日本に輸入すると、これがいわゆるブーメラン効果になって、日本の経済を弱らせることになっています。
中国に進出している欧米の企業を見ていると、中国の安い人件費で作った製品を本国に輸入するということは、あまりやっていないと思うんです。
八〇年代から多くの外資が日本に進出して来ました。例えば横浜市にジャーマン・インダストリー・センターというのがありますが、そこにゾーリンゲンなどドイツの企業が進出してきました。
あそこは試作品工場を兼ねているのですが、なぜ横浜なんですか、なぜ日本なんですかと聞きましたら、次はやはり中国大陸を考えているから、まず日本で足場を固めて中国を狙っていきたいと、そういう話をしていました。
中国で物を作って中国の市場で売ると。みんな、その十二億の市場を見ているわけです。中国で作って日本に輸入する。これはある面で、誰でもできることです。やはり中国で作って中国で売ると。あるいは中国で作って、アジアで売るという形で、日本は海外での生産についてもっともっと工夫が必要ではないかなと思っております。
海外での生産について、まだまだ日本のノウハウは幼稚なのではないかと感じております。
ASEANとの十年間の自由貿易協定の話で、日本は農産品を輸入できないのだから、ASEANも含めた自由貿易協定にも参加できないと、朱鎔基さんには足元を見られて言われました。
農業問題と通商問題はリンクしているわけですので、日本の農業政策は大変大事だと思います。GATT・ウルグアイラウンド対策で、六兆円を地方にばら撒いたというような形で農業政策を続けている限り、これはアジアでの自由貿易協定に参加できないということだと思いますので、農業政策は根底から見直していかなければならない。
今回は、BSE(狂牛病)のことや食品表示のことも露呈しています。日本の農業政策、流通も含めて、そのあり方をもう見直す必要があろうと感じております。
最後に、さきほど中西先生も触れられました不審船のことです。これは十二月に起きたのですが、そのときに九時間の空白があったんです。
私は、去年えひめ丸事件のことも雑誌『Voice』のに書かせていただきましたが、阪神大震災を教訓に首相官邸に危機管理センターが置かれて、二十四時間体制でやっているにもかかわらず、いつまでたっても日本の危機管理というのは脆弱なんです。今回は、防衛庁から海上保安庁への連絡が九時間もかかってしまった。もちろん写真電送での初歩的なミスもあったんですが、まだまだ危機管理が脆弱であることが露呈したわけです。
九時間かかってしまったがために、不審船が中国の排他的経済水域まで行ってしまったといったことがあるにせよ、やはりこれは引き上げるべきだと思います。中国外務大臣からの発言もありますが、やはり日本の危機感を強いものにしていくためにも引き上げて、いろいろな状況を確認すべきだと思っております。
【司会】
ありがとうございました。私どもの『日本再生』二七三号に渡辺利夫さんのインタビューがあります。そこでは、現在の日本における中国脅威論というのは、「自信喪失した日本が中国というキャンバスに書いた自画像に他ならない」というご指摘がございまして、まさにその通りだと思うのです。
それから二七〇号ではジェラルド・カーティスさんが、今の日中貿易摩擦を見ていると、八〇年代の日米関係を見るようだとおっしゃっています。
あのときアメリカは、日本叩きということでいろいろやりましたが、それでもやはりこれを契機にして一段の高度化を成し遂げたわけです。この高度化には問題もあるのですが、ハイテクや金融工学というものでもう一度、世界の覇者になったわけです。
日本が別に覇者になるべきだとは思いませんけれども、やはり中国の挑戦をプラスに受けとめていくぐらいの気力を失ってしまっては、どうしようもないということであります。
さてここで休憩を入れまして、後半では東アジアでどのように日本の役割を果たしていくか。李先生からもご指摘がありましたように、落ち込んだ日本は東アジアも困っているわけでして、もうちょっとちゃんとやってくれよという風になっていると思います。このまま沈むわけには行かないと思いますので、東アジアでいかに生きるかということで、後半をやっていこうと思っています。
■第三部・東アジアにいかに生きるか■
【司会】
後半は、東アジアにいかに生きるかということで、これまでの議論を踏まえた上で、東アジアの中における日本の役割、あるいは東アジアの地域機構という方向に向けて何ができるのかというあたりのこと、その中に日中、日米がどう関わっていくかも含めて、話を進めていきたいと思います。
順番をちょっと変えまして、李先生からお願いします。
【李】
日本の外交といいますか、日本のやるべきこと、これは先ほどからの話で、私の頭の中ではずっとつながっていることではありますが、二点か三点お話しします。
一つは、日本と東アジアの関係を見る時に、日本国内の外交体制と言いましょうか、外交体制の整備というか、こういうものをもう少し、日本の総合的な国益の観点から考える必要があるのではないか。
現在のように非常に流動的な状況の中では、国益も非常に定義しづらくなっていますし、非常に複合的でもあります。ネギ、椎茸の話もでましたが、明らかに目に見える国益のように見えるものが、じつは国益でない場合もあります。それに、国という概念自体が相当変わってもきています。
しかも、私は日本の国内も今、巨大な民主化のプロセスだと思うんです。
通常、韓国とかソ連とか旧共産主義圏とか、そういうところの民主化はよく議論されるんですが、世界史的なタイムスパンで言うと、カッチリした、非常に強い国家が緩やかになっていくという意味では、大なり小なり世界は民主化のプロセスだと思うんです。
マーケット(市場)シビル・ソサエティ(市民社会)というのは、ステート(国家)と並んで、近代の三つの柱のうちの二つですが、市場とか市民社会のほうにさまざまな権限が委譲されるわけです。必ずしも国家が消滅するとは思いません。正確に表現すると、国家と市民社会と市場という近代の生み出した三つの制度の新しいバランス、その転換過程に来ている。日本もそうです。
自民党が揺らいだり、官僚が揺らいだりするのはそういうプロセスだと思います。
民主主義の外交というのは、非常にやっかいな、古典的問題です。外交が一番きれいに、ある一定の観点から見て効率的にできるのは独裁国家です。
君主国家では、君主の判断で機敏に戦争を始めたり、やめたり、領土を売ったり取ったり、あるいは譲ったり奪い取ったり、自由自在にできる。これが一番、外交はやりやすい。
外交官が閉鎖的な体質になるのは、そういう観点からすると理解できる部分もあるんです。いろいろな人がいろいろ散漫なことを言うと、外交なんかできっこないと。ジョージ・ケナンという人もそういうことを言いましたし、外交に携わっている人は、日本の外交官も含めてみんなそう思っている。エリートがやるものだと考えているんです。
技術的な面ではそういうところもあるのですが、やはり民主主義社会では、副作用があってもさまざまな利益、利害、考え方を取り込みながら外交を展開せざるをえない。となると、そこで重要なのはなにかということです。
民主主義が、政策の適正な均衡点に向かっていけるかどうかは、おそらく二つくらい条件があると思います。一つは情報がどのくらい正確に伝わるかです。民主主義で往々にして外交が暴走したりするのは、情報が操作されるからでありまして、バランスがとれた情報をどのくらい社会が共有できるかで、民主主義の外交の安定性と質は保たれると思います。
もう一つは、それが収斂するさまざまなメカニズムだと思うんです。日本はこれまで、外交というのはアメリカ任せ、外務省の一部任せだったので、国民は制度もなければ考えもなければ情報もない、というふうになっていると思います。
ちょっとジャーナリスティックに表現すると、憲法問題調査会とかを、国会でやっています。憲法問題も日本で大事な議論だと思います、非常に分裂的な争点ですから。分裂的な争点をどこかで収斂する場は必要です。それを抑えると、議論が潜行して変な形で爆発的に動きますので。
それと同じように、日本にとって一番分裂的になり、ややエモーショナルになりがちで、しかも総合的な観点で非常にやりづらいのは外交です。これは未熟だということもあり、しかも東アジアとの関係が大事になってくる。
アメリカに対してもそうですが、私の学生なども見ていると、アメリカに対しても日本の見方というのは、立場はどちらにしろ、エモーショナルな部分が非常に多いんです。エモーショナルに物事を判断したり、また部分的な利害を背景に持って考えたりするというのが、正直に言って実態ではないだろうかと思います。
そういうふうに考えると、ちょうどアメリカの議会でさまざまな聴聞会というのがありまして、ほぼ連日のようにいろいろな議論がそこでされているんですが、それと同じように、私は東アジア外交問題調査会、あるいは特別委員会、どういう名称が適切なのかわかりませんけれども、国会なりで常設的にやっていく必要があるのではないかと思います。
分裂的な争点を出すとかえってややこしくなるからやらないんだというのが、先ほど日本の教育のお話もありましたが、日本の社会はそれを何とか表面化しないようにして、裏で調整しようとするという習慣があります。
アメリカの覇権秩序に一方的に依存している時には、ちょっとした細かい微調整であればそれで間に合うかもしれませんが、今のように流動的で、パラダイムそのものを考えなければならない時には、さまざまな複合的な観点から議論ができなければなりません。しかもそういう場で議論をするとなると、腹芸だけではできませんので、ちゃんと論理立てて言わないといけない、ということになります。
私は、どういうシステムを作るかということと、どういう人材―政治家や、外交官など―が育つかということは、相互関係があると思うんです。アメリカの政治家はみんな論理立てて言うんです。非常に感心するくらいですが、五分、十分で言いたいことをきちんと整理して言う。それはそういうシステムだからでもあるんです。そういう人でないと生き残れない政治システムなんです。
しかし日本では、あまり論理的にしゃべる人は、日本語で「理屈っぽい」というのはいい言葉ではないように、ネガティブなんです。そういう人は政治家としても大きな出世はできないかもしれないし、腹芸のうまい人が大物ということになるんです。
私はそういうきちんと合理的な議論ができる場を、しかも今はインターネットの時代ですから、二十四時間常時接続で中継されてもいいと思うんです。そこで常に議論が行なわれるようにする。
学者から見た空想論かもしれませんけれども、そういうものに向かってシステム、日本の外交体制整備―これは議論の場であり情報の共有を含めたものですけれども―が、まず第一点として必要なのではないかと思います。
それと関連して、第二点ですけれども、特にアジア外交がどちらかというとODA的だというお話が冒頭、戸田代表からありましたが、非常に正鵠を突いていると思います。
つまり日米関係はそれほどではないのですが、日中、あるいは日朝関係をみても、アンダーグラウンドの外交関係が多すぎるわけです。これは日本の責任でもあり、半分以上は中国、北朝鮮の問題でもあります。あるいは日韓の国交正常化もアンダーグラウンドで進めたわけで、日本とアジアの関係は、インドネシアを見ても、フィリピンを見てもそうなんです。その度合いが大きすぎる。
これはおそらく冷戦期ということに依存したもので、日本の国益と言っても経済的なものであり、ブレークダウンしていけば個々人の政治家がどこかで利権にあずかるような、そういうものが多い構造から必然的に生まれたものなんですが、それが日本の外交、国家そのものを大きく引っ張って、身動きできなくなっているんです。
日朝関係でも、「彼」がディズニーランドに行きたくて入ってきただけなのかどうか。これがよくわからないわけなんです。つまり北朝鮮とか中国、以前の韓国も同じなんですが、日本という国の外交に何か影響を与えようとした時には、世論とか社会全体に働きかけるという発想が彼らにはそもそもない。自分自身が閉鎖的な権威主義的体制ですから、そういう権力者は相手の権力者とサシで、利害をテーブルの上において勝負すれば話が通じるんだと考えているわけです。
朴正煕大統領が密使を送り続けて勝負しようとしたのもそうですし、中国もそういうことから始まって、その後も依然として大きく引きずっている。
北朝鮮は、そういう形で日朝関係を打開しようとして何回も働きかけ、それに応じた日本の部分もあるんだろうと思うんです。
もちろん外交において、非公式チャネルというのは原理的に否定されるべきではなく、そこでさまざまな調整はできるんですが、日本とアジアの関係にはそういう部分が多すぎるんです。
それをより公式化しながら、そのためには日本とアジアとの関係、日本の外交そのものを原理に基づいて議論するということが、私はこれから日本外交に求められると思います。これはちょっと学者的な要求でもあるんですが、自由とか民主主義という価値がどういうふうに反映されるのかということについて、日本社会全体でもそういう議論はなかなかしないで、なんとなくフィーリングで決めたりしますが、それがもはや外交については通じないのではないかと思います。
三点目に、もう少し具体的なこととしては、東アジアにさまざまな地域機構が存在しています。ヨーロッパは地域統合が進んでいるのにアジアはほとんど進んでいないとよく言われるますが、全くないかというといろいろなものがあるんです。ARFというのもありますし、ASEANプラス3というのもできましたし、APECも依然として存在しています。
強調したいことは、これらのアジアの地域機構は、その多くが冷戦終結後にできたもので、しかもほとんどがアジアの内発的なイニシアティブで作ったものなんです。
さらに強調したいのは、少なくとも九〇年代の初めまでは、日本は冷戦後を見越して、それなりの外交構想力を持って戦略的な動きをしたということです。私はこのことをなぜ、日本でもっと評価しないのか、不思議なんです。
APECを立ち上げたのも、事実上は日本の外交力だといって過言ではありません。ARFも日本のASEANに対する後押しの結果として生まれたものです。
日本外交がまだ、宿命的にアメリカの顔色を伺わざるをえないということがあって、細川政権時代に何かもう少しアジアに積極的なことをやろうとして一喝されてすぐやめたりと、いろいろな難しさはあるんですが、少なくとも九〇年代の初めは、日本が自信を持っていた時期なので、アメリカとの絡みを見ながらも、それを地域とつなげようとするいろいろな作業を、APECなりARFなりでしました。
その時、もう一つ私から見て評価できるのは、日本が先頭に立って旗を振ったということではなくて、APECではオーストラリアを前に出したり、ARFの場合はタイとかシンガポールとかが出るようにした。
私は、韓国の外交官が、APECを立ち上げる時の日本外交のイニシアティブを評価するというのを聞いて、非常に感銘を受けたことがあるんです。これはリップサービスでもないし、そういう戦略は非常に大事です。
そして、その時に作り上げたものが、いろいろな不備を持ちながらも、アジアの緩やかなシステムとしてつないできたということがあるかと思います。
それが今ちょうど曲り角にあって、もう一度日本が、東アジアに制度化されているものをどのように改善するのか、そういう曲り角に来ているということです。
曲り角のひとつは、これまで日本のイニシアティブで作ったもののかなりの部分が、ASEANに依存しているのです。ARFも、ASEANに間借りしているものですし。ASEANに勢いがある時にはよかったんですが、今はASEANが内政、経済、さまざまな面で過渡期に入って非常に動きが鈍い。
そうすると今求められているのは、北東アジアの出番だということなんです。北東アジアは今までどちらかというと、中国も日本も韓国も、特に中国、韓国は秩序形成に積極的に関わらなかったわけですが、これからは日本もかなり中心的な役割をもって、北東アジアのシステムをどう作るのかという過渡期に来ているということです。
そこでもう一点だけ付け加えますと、私は今、日本にとっては地域機構がやや曲り角に来ているから出番だ、という意味でのチャンスであると同時に、もう一つの意味で大きなチャンスだと思います。
日本にはどうも、米中関係の動向を見ながら動くという宿命的なものがあるんですが、端的にいうと今、米中関係は中、長期的にクリントン政権時のようにそう簡単に接近できる構図ではないと、誤解を恐れずに申しあげると、そういうことになると思うんです。
アメリカから見ると、かなりの中期的期間に中国が脅威の中心に据わるというのは、多分避けられない状況だと思います。戦略的な利害の抵触も、他の国よりも一番大きいです。
ロシアは、広い意味でのNATOに吸収されていく、そういう道をたどらざるをえないと思いますから。
そうするとある程度力があり、アメリカに対抗するものとなると、中国以外には見当たらないということが現実だと思います。
そういうアメリカも、経済的関与を強めるとは思いますが、それは何を意味をするかというと、米中の戦略敵戦術的な接近に対して、それほど日本が神経質になることはないという意味で、その自信と安心感は必要だと思います。
米中が波瀾要因になることが、日本にとっては非常にダメージですので、逆に米中が変に接近したりマヌーバするということがないという安心感で、それこそアジアのそれぞれの国と機能的に協力してアジアにシステムを作るということが、今求められている課題の大きな部分だと思います。
具体的には、去年のASEANプラス3の席で、韓国の金大中大統領が、事実上かなりイニシアティブをとり、東南アジアでもタイやシンガポールなどが非常に積極的ですけれども、ASEANプラス3を東アジアコミュニティに拡大しようという構想です。
ASEANプラス3というのは、ASEANが集まる時に三カ国(日本、韓国、中国)がゲストとして加わるだけなんですが、それを普通の制度のように拡大、制度化しようという議論があります。
これがどうなるかというのが今の具体的な政策論としての課題です。
日本では外交に社会全体の関心が薄くなっているので、なかなか報道もされませんが。
この前小泉さんがシンガポールに行って、ASEANにオーストラリアとニュージーランドを入れるべきだということを付け加えましたが、そういう意味ではASEANプラス3ではなくて、ASEANプラス5みたいな構想になる。それも一つのアイデアだと思います。そういうものを真剣に議論することが、中国の台頭という問題を地域に取り込むシステム作りにもなりますし、これをもっと国民的議論として、日本の農業や経済の利害とも絡んで、どう取り組むのかということを議論すべきだと思います。
【武正】
李先生の話を受けて少しお話しいたします。
財務省のあるOBの方にお会いした時に、あるサミットで日本の大蔵大臣がある質問に対して三十分間、その質問に応えずにとうとうと持論を述べて、終わった後「よかっただろう」「うまく話をそらしてよかっただろう」と言われたんで、唖然としたという話を伺いました。これが日本の外交、政治家の実態でありまして、国会答弁じゃあるまいし、時間を惜しむサミットの場できちんと議論ができない、情けないという話でありました。
私は大来佐武郎先生の事務所に、二ヵ月くらいいた時がありました。大来先生は経済官庁出身で、新自由クラブから国会議員に立候補して、落ちてしまいましたが、それが契機で外務大臣として入閣した。もちろん経済界とのつながりも深いということで、官僚も政治も経済も、そして国際畑で英語も話せる。そういった日本人が、大来先生の次がいないんだという話を、何度も聞きました。
当時は日中二十一世紀委員会ということで、盛んにやっておられましたが、今そういったこともかなりトーンダウンしてしまっているようにも聞いています。あるいはアメリカと、それこそ議員外交ではありませんが、電話で話ができるといった議員も減ってきている、あるいは中国ともそうだというようなことで、日本の外交は本当に大丈夫かといったところが正直、あります。
東アジアですが、ちょうど三月三十一日に日韓の国会議員のサッカー大会がチェジュ(済州)島であります。去年の十一月には大分でありまして、日本は二対三で負けてしまいました。チョンモンジュンさん(韓国サッカー協会会長、ワールドカップ共催の韓国側のトップ、大物国会議員でもあり、大統領候補と目されることもある)も来てボールを蹴るんです。韓国は国技がサッカーですから。
日本はみんな野球で育ってきて、私くらいからサッカーを始めていますので、四十代、五十代の方々はなかなかサッカーができないんです。向こうは三年間の徴兵で身体もがっちりありますから、当たりも強いんです。
チョンモンジュンさん曰く「一昨年は日本が勝った、二対一で。あの時は釜本がいたから」と。釜本さんは昨年落選されてしまったので、それも戦力ダウンでしたけれども、そんな時に同じテーブルで、一年生議員と話をしました。
韓国でも二〇〇年の総選挙で、六〇年代生まれで三十代、八〇年代に大学に行ったという人たち(「三八六世代」)がたくさん当選したんです。その何人かの議員さんと話したら、やはり韓国にすれば、中国と日本、韓国で自由貿易なり連携を強めたいんだと。でも韓国は中国とサシでなかなか話ができないから、ぜひ日本に間を取り持ってほしいと。
今度三月末に行って、さらにまた仲良くなって、そういった話も深めてきたいと思っていますが、東アジアでの自由貿易、あるいは集団的安全保障の枠組み、こういったことがやはり課題になってこようかと思っています。
先ほどちょっと触れました沖縄ですが、二月二十四日から三日間、沖縄に民主党の調査団を派遣しました。十年に一回の沖縄振興法がこの通常国会に出されるものですから、その前に沖縄に入ろうということで行ってきました。
その時に石垣島にも行ったんですが、石垣島がある八重山諸島、そのなかの与那国島というのは台湾との境ですから、第二の竹島、尖閣諸島にするなというような話もされました。シーレーンということで大変大事な海域でもありますので、日本の安保、外交から、沖縄というのは大変大事なんだといったことです。
その時に、先ほど触れたように四軍調整官にはグアム、フィリピンへの海兵隊の分散を依頼して、公式見解で断られましたけれども、やはり海兵隊の新兵の方が訓練をしていて、いろいろ不祥事を起こすわけです。また嘉手納基地は、今横田が滑走路を改修していますからなおさら、次から次へ嘉手納をトランジットにして米軍が展開していくわけで、嘉手納の戦略上の大変な重要さも認識したわけです。
この沖縄に関連して私がお話したいのは、エネルギー同盟です。
みなさんも覚えておられると思いますが、オイルショックの時に、日本がアジアで原油を買いあさった。そのためにアジアで原油の値段が上がり、他のアジア諸国が非常に迷惑したということがありました。
今日本は、一年間に二億五千万トン原油を輸入しているんです。中国は年間一億トン輸入しています。中国の一人当たりのエネルギー消費量は日本の五分の一なんですが、日本の二・五分の一の輸入をしているわけです。この中国が七%成長をずっと続けると、一人当たりのエネルギー消費量がこれから増えていくわけで、日本を追い抜いて原油の輸入国になる。
もしイラク攻撃があったりして、あるいはまた中東で危機が起きた時には、第三のオイルショックになりえます。
日本は備蓄を百七十日分やっております。世界エネルギー機関(IEA)のベースでいうと百十日にカウントされますが。九十日以上やらなければいけないというのが、IEAの取り決めなんです。
韓国は先進国の仲間入りするということで、IEAの目標までは達しませんが、六十日の目標を立てて石油の備蓄を始めています。台湾も同じく三十日の備蓄をやろうとしています。中国は、ゼロとか三日とかという話なんです。ですから私も今回「中国にも原油の備蓄をやってほしい」という話をしました。実際、五ヵ年計画に原油の備蓄ということを、中国も入れたそうです。
ヨーロッパではお互いに備蓄の持ち合いみたいなことをやっているんですね。それを、北東アジアでもやってもいいんじゃないかと思っています。それにはちょうど沖縄が、備蓄基地として可能性があるのかなと考えております。実際、本土復帰する前に石油精製基地にしようという話があったんですが、通産省が潰しました。日本に復帰した時に、石油精製の巨大な基地があると日本国内のカルテルを崩すということで。今になってみれば残念だと思います。
そんな可能性もあるんじゃないか、アジアの自由貿易や、エネルギーの相互依存関係、そのようなつながりもあってもいいのかなと思っています。
この間、中谷防衛庁長官が、米中日ロに北朝鮮、韓国の六ヵ国の集団的安全保障、アジア版NATOということを提案して、ロシアがそれに賛意を示すというようなことが新聞に載っておりますが、NATOは集団防衛ということで、敵から攻められたら共同でそれに対応するわけですから、果たしてそこまで、中ロも含めてできるのかというと、まだまだのところがあります。
ただ、加盟国のメンバーが他国を攻めた場合、それをみんなで制裁するという意味での集団的安全保障、あるいはそれをやってはいけないという抑止力ということで言えば、アジアでそういった枠組みを作っていく必要があるのかなと考えております。
アメリカ国防総省が日本に対して、米国と完全な同盟をするのか、日本の軍事的独立をするのか、中国の覇権の下に入るのかという、三つの選択肢を提示しているというようなことが言われていますが、多国間安保というのが第四の選択肢としてあるだろうと思います。アジアにおける集団的安全保障の枠組み作り、そしてそれを補完するような自由貿易圏、自由貿易圏ではなくてもエネルギー、石油の備蓄のようなお互いの相互依存関係、これをいろいろなステージで作っていくことが必要ではないかと思っています。
【中西】
お二人の話でずいぶんいろいろ出ていますので、私があまり話すことがなくなってしまったんですが、同じような話を私なりの言い方で申すということになろうかと思います。
今の日本の外交にとっては、日米関係と日中関係が重要な二つの軸ということになるだろうと思います。アメリカにしろ中国にしろ単独主義であったり、自己中心主義であったり、そういうことが強い国であるというお話でしたけれども、そういった国と日本が付き合っていく上で、東アジアというようなあいまいですけれども、ある種の地域的枠組みを持っておくというのは、日本にとって重要だろうと思います。
例えばアメリカとの関係で、前半でちょっと言いましたけれども、アメリカが特にテロ事件以降、安全保障の問題で、ある種の強硬な姿勢を示し始めているんですが、そういった時に、喧嘩をせずにアメリカを抑制する手段としていい方法は、英語で「グループする」という言い方があるんですが―仲間を作るというような意味合いです―、そういうことだろうという気がするんです。
例えば日本がアメリカの言っていることに、これこれは違うと―そういうふうに言っていいこともあると思いますが―言って、一番重要なことは、アメリカがそれで意見を変えるということなんです。正面から言っても、日本はそれじゃあ手伝ってくれないんだな、ということで喧嘩しておったのでは、あまり意味がないわけです。
そういう時に日本としては、例えば東南アジアの国と相談した、あるいは韓国と相談したところ、アメリカにはこういうことをやってほしいというような話が向うからも出たよ、と仲介をするといったことができるんです。
もちろんアメリカは、東南アジアの国とも韓国ともそれぞれ独自のチャンネルを持っているから、二国間で話をしているということはあるだろうと思います。しかし直接に一対一では話しにくいことが、日本との場で話のということになれば、向うも言いやすいことがあるわけです。
例えばインドネシアならインドネシアが、アメリカに直接には言いにくいことを、日本が間接的に言ってくれると、インドネシアからも感謝される。アメリカとの関係でも角が立ちにくい、というようなことがあるわけです。
そのあたりが一つの外交のテクニックでありまして、アメリカと日本の国益、あるいは安全保障についての考え方は違うところがあるだろうと思います。ブッシュ政権がどうこうということに限らず、完全に一致はしていないんです。その完全に一致していないのを、どうやってうまく関係を保っていくかという時に、日本のような国にとってはある種の国際機構、準国際組織的な存在としての東アジアといったような、李先生風に言うと、ディスコースdiscourseを使うというのが、外交的には一つのテクニックでありまして、その意味で間接的にアメリカに対して距離を持って関係を維持しながらも抑制もするという時に使える、一つの手段なんです。
日韓、日中、あるいは日本と東南アジアのそれぞれの国といったようなことでもそれぞれ重要なんですが、それらを包括するような地域的枠組みを持っておくということは、日本の発言力になると思います。
同じようなことが日中関係にとっても言えるので、日本と中国の二国間で話をする時に、すぐ話題になってしまうのがいわゆる歴史問題です。靖国神社に総理が行くとか、戦争の反省をしているか、していないかとか、そういう話になってしまう。それはお互いに問題があるだろうと思います。
日本の方の発言なり、中国に対する態度というのも正直、問題になるところがあるなあと思いますけれども、中国側にも問題がないわけではないと思います。
中国側の歴史教育なり、歴史に対してのアプローチというのは、やはり最近は共産主義のイデオロギーが崩壊してしまいましたから、共産党政権を正当化するためには、民族解放を行なった政党であるということを強調する、一番強調しやすいのは一九三〇年代で―もっと以前の日清戦争から始まっているということになっていますけれども―、日本の侵略に対抗してそれを打ち破った政党であるというのが、中国共産党の一番の売り文句になっているわけです。
ここ十年か十五年くらい、中国共産党の抗日戦争キャンペーンというのは、今の日本が嫌いというわけではないんですが、自己の正当性を強めるために、過去の歴史をフレイムアップするというところが確かにあるので、その点はだんだん変えていってもらわなければいかんだろうというふうに思うわけです。
そして、それはやがて変わっていくだろうと私は思うんですけれども、いずれにせよ二国間で話をする時に、お互いにいろいろと問題があってそういう話になりがちなんです。
しかし、東アジアなりあるいはもう少し狭い範囲で、例えば東シナ海、南シナ海の海洋の安全保障といったようなこともありますし、あるいは朝鮮半島をめぐる安全保障といったようなこともありますけれども、そういった地域の問題について話をするということになると、お互いに意見は違っても、一応話は前向きになるんです。
例えば北朝鮮のミサイル開発問題というのは困った問題ですね、あるいは拉致疑惑というのが日朝の問題を解決する上では困った問題なんです、というようなことを日中で話し合って、中国側に北朝鮮と日本の関係があまり緊張しているとよくないという読みがあれば、それなりに中国が動いてくれるということもありうるわけです。
いずれにしても、そういうふうにやっていくということが、外交面で何かのメリットをもたらすかもしれないですし、それから日中間の対話が、よりまっとうなものになるということだろうと思うんです。
そういう意味で、地域のレベルで考えるということは、日本が日中とか日米とか、そういった重要な二国間関係を扱っていく上の有効なツールになるということだと思うんです。
ただそれをやる時に、いくつか日本として留意しないといけないことがあります。
一つは先ほど来お話が出ていますが、アジアの国というのはやはり政治体制が、長い目で見て移行期にある。長期的に見れば、より民主的といいますか、民意を反映した政治体制になっていくだろうと思いますけれども、現実にはまだそうなっていないところもある。ある程度の抑圧とある程度の恩恵を与えることによって、政権が維持されているところが多いわけです。
ですから中長期的には、例えばインドネシアのスハルト体制がそうであったように、やがて腐敗し、糾弾され、退陣していくという政権とつき合わざるをえないということが、正直言ってあるわけです。その時に、そうした政権と一切つき合わないというのは、アメリカとかヨーロッパとか離れている国にとっては割とやりやすいわけです。
例えばビルマ、ミャンマーの軍事政権は極めて強固な弾圧をしていて、選挙で正当に当選した人(スーチー女史)を抑圧している―これは明白な事実です。そういった国に対しては制裁する、経済的支援を行わないというのは、立場としては論理的に一貫しているかもしれないですが、近くの国としてはなかなかそれをやりにくいということがあるわけです。
放っておけば、やがて兵糧攻めにあって軍事政権が倒れるかというと、なかなかそうはいかないんです、実際のところ。ですからそういうことからいうと、日本のようにアジアの中で大きな存在である国は、ある程度の関わりは持たないといけない。
しかしそれが、軍事政権を承認したということになって、そちらとやっていきますよというだけになってしまうと、民主主義の原則に反するだけではなくて、長期的意味において、日本にとってマイナスになるかもしれないんですね。
手をきれいにしたままで外交はできないんですが、しかし長い目で考えた時に、将来の政治の担い手になる人たちとも付き合っていけるような、そういうチャネルも保っておくことだと思うんです。
そのためには、それこそNGOとか、李先生がおっしゃったのとはちょっと別の意味での非公式チャネル、そういう民間の交流、あるいはセカンド・トラックとか、そういう形で政府とはやや異なった立場の人々に対してもそれなりに配慮をする必要があるでしょう。
あるいは日本はなかなかできないんですけれども、もう少し政治難民と言いますか、そういった人に対しての扱いを考えていかないといかんかもしれないですね。実態もよくわからないところもありますし、難しいですけれども、やっぱり政治難民をほとんど受け入れないという政策は、外交上はなかなかやりにくいところがあると思います。
ですから一応受け入れて、しかし反政府的な活動を日本の国内ではある程度抑えるというようなことになりますかね。そのへんのバランスが難しいですが、いずれにせよ、二十年、三十年くらいすると政治体制が移行していくということを前提にしながら、アジアの国とつきあっていくというのが一つだろうと思います。
それからもう一つは、アジアと抽象的に言うと、日本人は「自分もアジアの一員である」とか、あるいは中国とか朝鮮半島とつきあいが深いとか、そういったことを考えますが、存外日本人は―アジアはお互いにそうかもしれないですけれども―今の中国とか韓国とか東南アジアはある程度知るようになりましたけれど、まだまだ(アジアを)知らないという気がします。
昔の中国の文化とか、朝鮮半島の文化とかについては文字で読んで知っていたりするんですが、今の社会そのものについては存外知らない。アジアというのはヨーロッパから来たレッテルですから、実際にはそれぞれ違うわけですね。ですからそういったことについてもう少し、「自分たちは知らないんだ」ということを前提にして、実態を知っていく必要があるんじゃないかという気がするんです。
そのための一つの手段としては、やはり文化交流というものがあります。
さきほど武正さんの方から日韓のサッカーの話がありましたけれども、スポーツなんかもいいだろうと思うんですね。これまでアジアの国は余裕がありせんでしたから、お互いにスポーツをするというようなことも少なかったですけれど。ヨーロッパなどは、それぞれの国内リーグも重要ですが、ヨーロッパのトーナメントで勝つかどうかというのが重要で―サッカーなんかは典型的にそうですが―、そういうことから言えばアジアの中でリーグを作るとか、選手権を取るとかそういったことを、そろそろ考え始めてもいいんじゃないか。
そのときにそれぞれの国の代表ということではなくて、もう実際にそうなっていますけれど、別の国に行って活躍している選手がいるわけで、そういう人たちを一つの接点にして、ある種の共通の枠組みとしての近代的な文化交流を考えてはどうか。
能や歌舞伎や狂言を見せるというのもあるでしょうし、中国だったら京劇を見るというのも文化交流ですけれど、正直言って日本人でも能を見て感動するというのはなかなか難しいわけです。(笑い)これを見て日本を理解してくださいというのは、それは無理だと思うんですね。だから今のわれわれ日本人にとって面白いことを、外国の人とも共有する、外国の人が面白いことも共有するということを、もう少し積極的にやっていく。
今のアジアを知るということが存外、日本人はなんとなく知っているような気がしてあまり知らないというところがあると思いますんで、それが必要かと思います。
最後になりますが、これも李先生がおっしゃっていたことですが、やはり東アジアといったレベルで考えるときに、日本の外交の体制なり発想なり、そういったものが大きなポイントになるかと思います。
日本の外交の大きな問題は、ある種の継続主義といいますか、それぞれ日米なら日米、日中なら日中、ASEANならASEANといったレベルでずっと継続性ということでやっているんです。それらを組み合わせてどういうふうに作っていくかというような、広い意味での戦略的発想なり、総合的発想なり、そういうことを考える部署が正直言ってないんです。
それは、外務省のなかでもやらないといけないかもしれないけれども、その点ではもう少し、内閣といったようなレベルでやらないといけない。内閣の強化ということはずっと言ってきて、省庁の再編とかもしたんですが、基本的には変わっていないですね。やはりそれぞれの省庁が中心でやって、内閣には人をさし出してまた帰っていくという、いわゆる出向の場所ということです。
基本的には二十世紀の間に多くの国で、ある種の行政権の集中が行われて、いろいろな部局の情報を中央がコントロールするというシステムを作ったんですね。その上で、最近ではまたそれを分散化するという話になっているんですが、日本の場合は、そういう集中がついぞおこらずに今まで来て、今ごろまとめようかという話になっていて、周回遅れになっているんです。
いずれにしろ、ある種の情報の行政組織内での共有というものがまずないと、そういう地域的レベルでの情報戦略は非常に立てにくい。結局それぞれの国の、あるいは従来の行きがかりの積み重ねということに終わってしまうということだろうと思います。
それを支える組織として―外交は基本的に行政権がやるところが大きいんですけれど―国会が外交について重要な機能を果たすということが、やはり必要です。田中真紀子・鈴木宗男の話を見て、あれで外交についての関心が高まるとはちょっと思えないですよね。
批判されるかも知れないですが、鈴木宗男氏がやっていたことについては多分に問題があるだろうと思うんですが、たとえばアフリカの国との関係というようなことを考えるときに、やはりなかなか外交的に難しい問題があったんだということを、誰かが言ってもいいんじゃないかと思うんですけれど、そういうことはあまり言わないんですね。
あるいは北方四島の問題でも、非常にいい加減にやっていますから問題はあるだろうと思いますが、日ロ関係をどう考えるんだというようなことをやらないと、結局、領土問題だけに日ロ関係がなってしまうわけですね。
日ロ関係をどうするんだということを、多国間とか東アジアということについて考えながら、鈴木宗男氏がやっていたことに問題があるという話をするのなら結構なんですけれども。
鈴木宗男はいかに悪かったかという話ばっかりでは、なかなか日本の外交はよくならんなぁということであります。
行政改革とか政治改革とかやってきたんですが、日本の政策決定の一番根幹にある国会があまり変わっていない。戦前は行政組織と国会と軍と、三つ並んでいた。その三つを天皇が束ねているのが、戦前の体制だったわけです。
戦後は天皇に代わって国民主権になって、国民の代表である国会が基本的にすべての権力の中心にあるということになっているんですけれど、その実態はあまり戦前の議会と変わらないような手続きが、いろいろ続いているところがあるだろうと思います。
何かよくわからんような手続きがいろいろあって、非常に非能率であるという印象があるわけです。ですからその辺の国内体制を変えていくということが、やはり基礎的な条件になるので、鈴木宗男問題は重要なんでしょうけれど、五年、十年たって意味のあることも議論してほしいなぁというのが、私の希望であります。
【武正】
おっしゃる通りでありまして、私も宗男・真紀子問題はもっともっと掘り下げなければいけないと思います。言うまでもなく、国会と行政府とのもたれ合いの関係がありますから、これをいかに正していくかということです。
イギリスの例も出されており、たとえば国会議員と官僚は直接会ってはいけないという法律もありますが。イギリスでは国民の皆さんの苦情の場というのはトライビューナルtribunalということで、各省庁に審判庁が置かれているわけですね。そこで役人ではなくて、第三者的な公正な判断を下せる人が判断をすると。これが補完をしているわけです。
この問題を契機に、三権分立を日本できっちり確立するという形になるように、明日の証人喚問で、原口議員がやっていただけると思いますので、以上で私の発言は終わります。
■第四部・外務省改革、外交の民主化のために「闇」と戦う■
【司会】
それでは原口議員がお見えになりましたので。
【原口】
皆さん、こんにちは。明日の証人喚問に向けて今、すべての資料を読み合わせしておりまして、今日はパネラーで楽しみにしておりましたが、こういう具合で飛び入りをさせていただく失礼を、まずおわびしたいと思います。
明日の証人喚問の焦点は、二つあると思っています。
一つは今お話があった外交の民主化です。私が取り上げましたコンゴ民主共和国の臨時代理大使をめぐる問題というのは、未だ解決していません。
一九九七年に、コンゴ民主共和国で長い政変を経て新たな政権ができて、私たちの国はその国を承認しているんですが、一部の勢力によってそれが阻害をされています。民主化に向かって進んでいる国の外交が、まさにわが国の一部の、非常に不当な勢力によって曲げられているという事実がわかったわけです。
三十数通のフランス語の口上書がございまして―口上書というのはキンシャサ政府から日本政府に対して、こうですよということを物を申すもの、それから在京の駐日コンゴ大使館から外務大臣に宛てたものですが―、それをずーっとていねいに読んでまいりますと、そのなかにおかしな文書が四つあります。
一つは、口上書には旗が必ずあるんです。その国の国旗ですね。それからもう一つは、公印が押されてなければならない。これがないのが四通あります。これは何を意味するかというと、偽造されているんですね。
私は先日、ムキジさんという臨時大使とお話をさせていただく機会がありましたが、こういうことをおっしゃっていました。「私は皆さんの日本の国をもっとも誇りにしています。私は日本の民主主義をもっとも勉強したいと思っています。しかしこの国に来て、私たちが外務省と一部の勢力から受けたのは、日本の国民の誇りと日本の国民の利益を大きく損なう、日本の民主主義の信頼を大きく損なうものでした。どうか皆さん、私が今置かれているこの困難な状況を一刻も早く解決できるようにご協力下さい」こういう言葉でございました。
長い内戦のあと、民主主義に向かって進もうとしている国を、わが国が、いやわが国ではなく、わが国の中の外交を私物化しているこういう人間が邪魔をしている。これはとても大きなことだと思います。そしてそれはまだ解決されてないということを、皆さんに申し上げたいと思います。
二点目は北方四島の問題をめぐる話であります。
一昨日ですか読売新聞に、鈴木氏が警察庁に圧力をかけたという記事が載っていました。ひんぱんに元KGBの大使館員と接触して、援助を私物化し、外交を私物化している。
私もサハリンフォーラム2000ということで、二〇〇〇年十二月にユジノサハリンスクに行ってまいりました。ロシアでは、私たちのことは改革派とは言わないんです。鈴木さんが改革派と言われている。つまり二島先行返還論ですね。
ロシアも大変な勢いで民主化を進めています。ユジノサハリンスクにはまだ三分の一くらい、旧ソ連の影響があって、経済もまだ完璧に市場化されたり民主化されたとは言えません。さまざまな密輸や密漁、そしてアンダーグラウンド経済というものがある。
しかしその中でも、検事であった人が州議会議員になったり、法と正義による秩序、これを大事にしていこうということを心がけている。その国においても、私たちの国の不逞の輩たちがあちらのマフィアと結託して、まるで国の法律をないがしろにしている、こういう状況があるわけです。
ポートクリアランスというものがございます。ロシアから日本にさまざまなものを運んでくる、その出荷証ですが、ロシア側が出した輸出量と、日本側が受け入れた輸入量が、約一千億違います。なぜこんなにも違うのかというと、ポートクリアランスという発行証も偽造しているんです。
ただ、皆さんに少しご安心をいただきたいのは、一、二ヵ月この問題に私たちは取り組んでいますが、外務省のなかでも二ヵ月くらい前は本当に震えるような思いをして、ここに来ていいんでしょうか、あなたに会っていいんでしょうか、というような顔をしながらお話をしていました。しかし今は、もうそれが解けています。
しかし外務省に要求している資料を、昨夜も夜中の二時まで待っていたんですが、来ない。今日の昼までと言って、それも来ない。こういう状況で、まだ呪縛が抜けていないというのも一方の事実です。しかし多くの人たちは、これだけ外交が私物化されたらどうなるかということを、よくおわかりです。
密輸、密漁拿捕の仕組みについても、しっかり証言をしていただく方が現れました。
これは複数の証言なんです。こういう仕組みになっているそうです。日ロ間では領土問題が解決していないため、漁場について日ロ地先沖合漁業協定というものがあります。このなかでイーゼット海域と申しますか、ロシアに専権的にさまざまな権利があるところまで出ていって漁をする、こういうことも日ロの間でいろいろ取り決めがあります。
しかし、そういったところで漁ができるには、ムネオ旗というのがあって、いくらいくらというお金を払ってそのグループに行くと、もう二〇トンの許可証を持っている船であっても、取り放題。大型船はロシアの警備隊長に命ぜられた人が乗るんだそうです。しかしその大型船に乗っていてムネオ旗をしている人はフリー。ムネオ暗号というのもあって(笑い)それもフリー。僕が言っているんじゃないんですよ、その方々がおっしゃる。
それでみんなやっているんですかというと、そうじゃない。そういうのを嫌だという人もいっぱいいると。だけれどそういう人たちの漁船は、近くに行けば銃で追い払われる。
昨日、一昨日と野党四党の調査団が根室に入っています。そういうことを口にしようものなら、即それはロシアの方に情報が流れていって、拿捕される。拿捕された時も、そこにもお金を介在させないと帰ってこられない。自分たちはまさに奴隷のような状況なんです、自由を回復するためにはもう司法の力しかないという、悲痛な叫びでした。
テレビで二週間くらい前に私が少しお話ししたんですが、そうすると堰を切ったように「あ、言っても大丈夫なんだ」ということで、そういう告発が続いています。
さきほど武正さんの最後の議論を伺っていましたけれども、外交が私物化される、税金が私物化される、官僚機構が私物化される―こういう問題をどう排除できるか。とっても大事なことです。
今回の問題はさらに、それ以上の問題を含んでいます。わが国の国権の最高機関、その中枢にいる人間が、他国の勢力と通謀してわが国の法と秩序を乱していたということが、この問題の本質だと思います。私たちは、こういったこともキッチリけじめをつけていかなければならない。
ロシアは国境問題をほとんど解決しています。わが国だけが、まだ国境線を確定できない唯一の国です。
二年前モスクワに行ったとき、ルーキンという外務委員長と議論をしました。サンクトペテルブルクの資料館の中にも、あの四島がわが国の領土であると書いてある。外交委員長をはじめいろいろな人が、実際に会うと、それは法と正義に基づいて解決しなければならない、領土はこう書いてあると言うんです。
しかし、この鈴木さんに代表される人たちが完璧に外交を私物化したことによって、日ロ関係というものはある意味で一回冷却期間、間違ったメッセージの冷却期間を置かなければならなくなりました。
心と心を通じ合わせたり、あるいは交流をしたりするのに冷却期間は置く必要はありませんが、誤ったメッセージの冷却期間を置かないと、ニッチもサッチもいかなくなっているというのが、今の現状であると思います。
外国と通じて日本の国内の秩序を乱したら、その罪は何というのか。アメリカ合衆国の憲法にも、韓国の中にもしっかりと書かれています。あるいは他国の外交官である人を秘書として雇っているということが、何を意味するのか。コンゴの外交官のパスポートを持っているムルアカさんという人を雇って、そして二国間交渉に行けば、第三国であるコンゴにその情報が筒抜けになるんです。こういうことを平気でやっていた。それを自民党の誰も止めることができなかった。こういうことです。
明日それを私たちは総括をして、そして外交を本当にわれわれの手に取り戻さなければいけないと思います。
明日が終われば予算委員会の集中審議をし、そして衆議院は各常任委員会が一斉に動き出します。これは外務省だけの問題ではありません。防衛庁にもある、農水省にもある、あるいは国土交通省にもある。すべての省庁で洗い流す作業をやります。
こういう不祥事が続くと、政治と官僚との間をしっかりと遮るファイヤーウォールをつくるべきだという議論が出ています。それはある意味では正しい。しかし一面では、これほど肥大化した官僚機構を誰もチェックできなくなれば、それこそ暴走になります。
ですから、二つ条件があると思います。私たち立法府の人間が、国民を代表して官僚機構にチェックを入れるというのは、ものすごく大事なことなんです。ただいわゆる個別の案件でお金をもらい、しかも行政を歪める。
こんなことをやれなくさせるためには、マル政メモというのが必ず役所にはあるのです。政治家から働きかけがあったときのメモです。そのメモはすべて公開する。小泉さんは六日の予算委員会で、「必要なものがあれば、どんどん公開するよ」と言われました。
しかしどうでしょう。もうそういうメッセージだけというのは、いらないのです。公開するよと総理が言うのであれば、公開すればいいんです。
明日の証人喚問に向けて私は、総理がそうおっしゃったからこれだけは出してくださいと、三つのことを各省庁にお願いしています。
一つは今回の北方四島支援事業、そしてアフリカのODA支援に関する事業、そのことについて明日証人喚問席におつきになる方から個別の企業、個別の個人についての働きかけがあった時のメモを全部出して下さい。
二つ目は各省庁に過去五年間、この方から個別の企業、個別の団体、個別の個人に何らかの働きかけがあったか。その件数。これを出してください。
そして三番目は、それが今までどうして出なかったのか。文書があると思いますから、どういう整理の仕方をしているのか。この三つについて、件数については明日の朝八時まで、メモについては昨日の夜六時までに出してくださいとお願いしました。出てきません。
私は佐賀の出身ですが、佐賀の『葉隠』という書物に「小事の大事」ということがあります。皆さん。自分は総理大臣だから、小さなメモのことなんかどうでもいいという人は、ぜひ信用しないで下さい。そういうところから、人間も、社会も壊れていくんです。
あのムネ電と呼ばれるディーゼル発電施設、これは二十一億もします。そしてそのほとんどは、鈴木さんに関係する企業だけしか受注できないような仕組みなんです。しかも今、北方四島にお住まいの方々は誰一人として、一本の角材すら運ぶことはできなかったのです。わざわざ日本から船で働く人を連れていって、洋上で飯場をつくってやった。そこに住んでいる人たちは、一滴の汗もかく事ができなかったのです。
鈴木さんはよく私に、北方四島は貧しいとおっしゃいます。アスファルト道路の一枚もないんだと言います。嘘です。私たちが送った人道支援物資が野ざらしになって、そこで腐っているんです。
支援委員会というのは、日ロ双方の十二の国(当初は旧ソ連から独立した国が参加)でつくったものですけれども、公式の支援なんか一件もないんです。やっと昨日出してきたのは、去年は桟橋を贈ってもらったけれど、これは去年台風で流れたから次は船をくれというものです。「尊敬する鈴木様、次はディーゼル発電をくれ」と。「尊敬する鈴木様、次は油を下さい」と。そのFAXが支援の要請ということになっているんです。
法と正義を曲げる。こういうことを許してはならない。外務省の斎藤局長に対してもあまりにも怒ったんで、机を叩いた。そこばっかりテレビで流れるんですが。
北方四島には物品しか送ってはいけない。ロシアに不当に占拠されているところだから、物品だけを送りますということだったはずなんです。では、あのディーゼル施設は物品ですか。あるいは希望丸、友好の家、あれは物品ですか。こういう追及をしていたときに、あまりにもひどい答弁だったので、怒ったのです。
あれは物品じゃないんです。
しかし小泉総理は目の前でそういう無惨な答弁を許しているんです。自分は総理大臣だから、目の前でどんな無残な答弁があっても関係ないという―小事の大事だと思います。
私たちは日本版GAOをつくって行政をしっかり監視する。そして政治家の不当な勧誘がないように、民主的な運営ができるようにという提案を三年前にいたしました。
そして今度は、あっせん利得罪法をもう一回出し直しました。そういう中で公平、公正、これがいかに担保できるかということを、ぜひみなさんに見ていていただきたいと思います。
今日は外交のことなのですが、最後に一つだけ。
この外務省問題が終われば、もっと深刻な問題となることがあります。それは二月十七日、二十日の夜の官邸で行われた会合であります。
ブッシュ大統領が来日されるというので、経済閣僚が五人、官邸に集まったという情報を得ました。彼らが何をやったか。自分たちで大きな、もう弱った企業を選別するということを決めました。十一の企業のリストを出して、それ以外は全部潰れてもらう。そして十一の企業については銀行に一斉に支援策を発表させると。
ちょうどその十日後、二十七日が、いわゆる政府の緊急デフレ対策の発表日です。五項目のデフレ対策が発表されました。しかしそれは散々な出来でした。みんなが非難しました。外国政府でさえ非難しました。しかし裏のデフレ対策なるものがあった。
その裏のデフレ対策なるものは、十一の企業には銀行の支援策を出して、ペイオフが解禁になったら、その支援策を出した銀行を公的資金、税金で救うと。まさに小泉徳政令と言っても過言ではないことです。私はこれについても質しました。多くの政府の中にいる人たちが言葉を濁します。やっているんです。
今までやってきた政治というのは、依存と分配の政治です。依存しなさい、そうすれば補助金を分配しますよ。どうぞ一票ください、政権政党は自民党しかない、野党は全然目じゃないから私たちに任せておきなさい、税制は私たちが何とか変えてあげます。こういうやり方なんです。
NGOに対する排除もまさにその通りです。自分たちが補助金を分配する権限を持っているにもかかわらず、自分らに逆らう奴等には絶対補助金は渡さない。まさにこの象徴なんです。こういうところからは民主主義は生まれません。
私たちは一人ひとりの自立した人たち、一人ひとりの人権や、一人ひとりの思い、これを大事にしていきたい。自立した人たちと一緒に価値を創造する。依存と分配ではなくて、自立と創造。こういう政治をつくっていきたいと思っています。
明日の証人喚問では、野党がずっとリレーをします。明日の九時五十分、私のホームページに私が質問する全体像を、アップします。私の質問時間は六百秒です。六百秒で聞けることは五問ですから。全力で頑張っていきたいと思います。(拍手)
【司会】
中西先生、いかがですか。
【中西】
いらっしゃる前にちょっとお話をしていたんですけれども、鈴木宗男氏がいろいろといかがわしいことをやっているだろうということは、大体明らかになっていると思うんですが、仮に彼を追及して、彼が議員辞職なりなんなりをしたとして、その後何が変わるんだろう、というそっちの方が大事だろうと思うんです。
最後の方で少し日本版GAOというような話をされました。僕はあまりその提案について詳しく知らないんですが、やっぱり日本のお金の使い方について、日本が貧乏な国だった時のシステムがすごく残っているんです。
僕は一応国立大学にいますから、それがよくわかるんですが。少ないお金をいかに使うかというために、財政の制度とかいろんなものができているような気がするんです。
今は正直に言って、ある程度お金を使わなければいかんという部分があるだろうと思うんです、国家として。しかし予算を作る時には非常に細かく、鉛筆一本までいくらかかるというのを出して頼まなければいけないんです。しかし、使った後の決算は非常にいい加減というか、わりと緩いんだろうと思うんです。
国内でお金を使う時もそうですし、対外的にもお金を手段として使うというのは必要だと思うんですが、その時にはいくら予算をつけるかという話だけではなくて、決算をしっかりやるというのは大事ではないかと思うんです。
例えば今、日本は一兆円くらいODA予算を持っているんです。これが多いか少ないかということは、それ自身で議論があると思うんですが、ちゃんと使うためには、実態を良く知っている人、あるいは第三者的な組織が、どう使われているかというのを後から見なければいけないと思うんです。
日本の財政制度そのものが、予算をつけることには非常に熱心なんだけれども、後のチェックというのが、国会でもあまり決算委員会というような話は聞いたことがないですよね。会計検査院がやっています、ということになっているだろうと思うんですけれども。そっちの方をもう少し重視して、事後チェックというのをやらないといけないのではないかと思うんです。
もちろん外交全般についても、お金を私物化しているとか、民主主義でないということも重要かと思うんですが、どう変えるのかという、そっちの方についても、明日の対決があるんだろうと思うんですよ、頑張っていただきたいなと思うんですが。
【原口】
一言申し上げると、中央省庁再編基本法の二十九条で、この一月から政策評価というのが出てきました。それから国会では決算行政監視委員会というのがあって、これは毎日でもやれと、私たちは言っています。そしてさまざまな政策課題、政策目的を、数値化をできるものはして、しっかりとチェックして国民に説明するべきだと。
それをシステム的にできるためには、やはり立法府の中に調査機関が必要だと思います。
今、調査室というのがありますが、私たちがお願いをすると出てくるものも、調査室さんが「いやぁ、私たちが言うと」という状況のようです。だからまだ権限が足りないんです。
行政府の権限がものすごく大きくて、立法府の権限が、国民の方の権限が非常に小さい、これを変えたい。その仕組みを作って、まさに中西さんがおっしゃったのが、まさに私たちが、民主党が提案している日本版GAOというものであります。(退場)
【代表のコメント・新しい芽が伸びて、旧い葉が落ちる】
非常にわかりやすく問題点を提起しますが、一つは「失政十五年」とか「失われた十年」とか言われて、冷戦の枠が変わってからの国際社会の変化にうまく対応できずに、ドジばかりしておりましたけれども、ぼつぼつ新しい芽が伸びて、旧い葉が落ちる状況に来たかなあと。破壊することから始めるとか、いや創造が先だとか、いろいろありましたけれども、新しい芽が伸びてきたから旧い葉が落ちる、という状況に来たんだろうなと思います。
民主主義の社会、主権在民ですから、多様な価値観を社会の変化の中でまとめていく統治能力、それが生まれてくる―それが新しい芽が伸びるということです。
今日の外交というテーマでも、最初に言いましたように、外交の民主化とは結局、主権在民、つまり責任と信頼をキーワードにした市民社会が生まれてくることと対をなします。
したがってこの「失われた十年」とか「失政十五年」の中で、国民に主権者としての責任を問いながら、時代の変化、政治を訴えていくということで、自由とか民主主義やパブリックの統治能力を身体で覚えてきた政治家が育ってきたということです。
旧い世代は「貧しい原風景」等でいろいろ泥がついていますから、「知性」の加藤さんも同時に落ちるわけです。
つまり、新しい芽が伸びていわば腐れた柿が、旧い葉が落ちてくる、その旧い葉の中には偏差値の優等生もいるし、族議員の本体もいる、というところに来たなということです。
その上で、内容に入っていきますが、その前に、知っている人は、中西さんは高坂先生の正統派の後継者ですね。いわゆるリアリスト的なスタンスです。
李鍾元さんは、韓国での民主主義闘争の渦中にあった人で、同世代は今、韓国の流れを決めるようなポジションにいますし、彼も学会の第一人者です。俗に言うリベラル、理想主義的なスタンスですが、民主化闘争の活動家としてのリアリズム、別の表現で言えば責任と信頼ということがありますから、戦後日本のカッコつきリベラルとはぜんぜん違います。
この中西先生と李鍾元さんということになると、国会議員はどういうふうに立ち振る舞うか、なかなか大変なんです。お二人は専門家、それも一流の専門家ですから、それに対して「自分もわかっている」というふうに教養で勝負をするというのも、なかなか難しいんですね。
今日の武正さんを見ると、自分なりの外交戦略のありようの実践感覚があります。実践感覚があるということは、実際いろいろ試みているということです。それを絡ませながら、三名全体で、グローバル化の影と光の中において日本がどのような位置・役割を果たしていくのかをめぐって、コミュニケーションが深まっていったと思います。
これが今日のパネラーの関係です。こういう第一人者のなかで、となるとなかなか大変なんです。政治家としてのパブリック観、政治家としての時代や歴史に対する責任や政策責任感で対応できるということでも、新しい芽がぼつぼつ伸びてきたなと、今日の武正さんを見ても思います。
内容的には一つは、中国、アメリカ、米中の単独主義との戦い方、あるいは付き合い方―ある時は戦わなければいけないわけで―あるいはその中でわが国のアイデンティティーの示し方ということが、だいぶ整理されたと思います。
米中の単独主義に対して、その意味をよく理解せずに、日本の主体性の回復とかを対置すると、狭いナショナリズムと同居するようなことになります。そういう誤解や誤りが重要な問題になっているということが、今後の日米・日中の関係を再設計する場合には重要だと思います。これを一つ覚えておいて下さい。
わが国も、戦前、鬼畜米英と言いました。この時は、第一次大戦以降の変化した国際社会に、単独主義で突入しました。世界を全部敵に回して。
このことの反省も含めて、次の国際社会の変化、つまり戦後体制の変化の中でどのようにやっていくのかが問われている。今のところ、単純な反米ナショナリズムとか反中ナショナリズムでとは基本的にはなっていない。グローバル化の光と影、その中でわれわれは失敗をしているけれども、今のところ狭いナショナリズムで、反米、反中というふうには回っていないし、そうだった場合は国民、主権者のほうも民主主義の成熟として今日を迎えるとはなりません。
森本さんが二月十日のセミナーで、今のグローバル化の中におけるダイナミズムについて言っているのも、参考になると思います(『日本再生』二七五号)。
二点目。九〇年代に入っての、APECやARF。これは李鍾元さんが、出発は日本がお膳立てをしたと言いましたが、問題はこういうことがなぜ、試行錯誤的にも持続しなかったのか。これは族議員という問題もありますが、一方本質的には、民主主義社会において外交を自分のものとして考えるまでになっていない主権者の未成熟が、鈴木宗男等々も生み出している―このことも、そこから受け取って帰ってもらわないといけないということです。
それと、グローバル化の影と光と言っていますが、これを一面的に、反米的に理解されると困ります。
グローバルな観点で、アメリカとの関係を結びたいという一つの夢が、今度のテロ特措法でインド洋まで派遣したことで一方、見えてきている。
別の言い方をすれば、日米関係がグローバルな観点で会話できる糸口を迎えつつある。この時期に同時に、アメリカの言いなりで経済政策をとってきたから日本は沈んできている。ここのアンバランスをどのように是正していくのか、こういうことも入ってきます。
三点目にやはり今までのAPECやARFも、この新たな二十一世紀のステージで、もう一度再編しなければならない。日米の関係が、軍事的抑止の側面だけが突出していると見える原因は、安全保障の主体性を回復するということが誤りだったから突出しているのではありません。
問題は、東アジアの中において新たな経済的な協調や統合をどう促進するか、その明確な経済戦略を持っていくということです。軍事的抑止面だけが突出していると見えるなら、それをこのこと(東アジアの経済社会統合戦略)によって是正しなければならない、こういう方法をとります。
人間の安全保障ということは、軍事的な問題だけで安全を確保するという時代が終わったということを意味しています。別の言い方をすれば、グローバル化の影の部分をどう解決していくのか、ということが重要な安全保障上の問題でもある、ということです。
ですから早急に、東アジアにおける経済戦略も、中東政策も、こうしたこと全部説明ができるように、ODAも含めて整理していかなければいけないということになってきます。
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