独立行政委員会を設置せよ
   えひめ丸事故を風化させず危機管理力強化のために

PHP研究所 「VOICE 2001年7月号」掲載

日本航空機ニアミス事故の顛末

1月31日、日本航空羽田発那覇行き907便と同航空釜山発成田行き958便は静岡県焼津市上空にて異常接近(ニアミス)を起こした。
両機の距離は30フィート、およそ10メートル(機長目測)。両機は衝突回避操作を行ったが、その際907便の乗客・乗員42名が負傷するという事故が発生した。
原因は、所沢市にある東京管制部の新人管制官と指導管制官が両機に対して誤った指示を出したため。
907便は16時47分に羽田空港に着陸し、けが人を病院に搬送することに追われた。東京消防庁としては2番目に大きい体制で、25台の救急車を出動させた。
のちほど腰椎骨折が判明する患者は17時38分には大田区にある病院に到着している。

日本航空では17時30分に社長を本部長とする対策本部が稼働。国土交通大臣には18時に連絡が届く(3/28衆議院国土交通委員会)。
また、警察からも国土交通省航空事故調査委員会に17時30分に問い合わせが入っていた(同前)。
さらに、17時のニュースで速報が流されている。

しかし、国土交通省航空局運航課に対策本部が立ち上がったのは18時30分、日本航空から骨折者ありとの連絡が入ったのは19時40分、それを受けて19時50分に「航空事故と認定」し、航空事故調査委員会に連絡。
調査委員会の7名の調査官は20時30分に現地に到着したが、ボイスレコーダーなどは警察によって回収されていた。

国際民間航空機関(ICAO)による国際民間航空条約第13付属書によると、「航空事故」の定義には「死亡」「重症」者がいるかどうかがあり、「重症」の定義に「負傷した日から7日以内に48時間を超える入院治療を要するもの」「骨折」者がいるかどうかがある。
このため、「骨折者あり」が連絡され19時50分に「認定」がされたが、いちばん早く病院に一人で運ばれた患者は日本航空の医師が現場で判断をし、日本航空職員も同行をし、レントゲン写真の結果はすぐに判明することを考えると「骨折」はもっと早くわかっていたのではないか。
さらに、国土交通省首席安全・危機管理監察官への日本航空からのニアミスの報告は午前2時になっている。
907便の機長からは翌午前1時30分。958便の機長からは23時30分と、日本航空への機長報告書の提出が遅れたためとされている。

もし、骨折者がいなくて、航空事故の認定をしなかったら、この午前2時の「ニアミス認定」後やっと調査開始となったのであろうか。
扇大臣の代わりに泉副大臣が2月8日東京管制部を訪れた以外、航空事故調査委員会委員は現地には赴かなかった。えひめ丸事件に際して、ハワイ・オアフ島に出向き精力的な活動を行った米国家運輸安全委員会(NTSB)のハマーシュミット委員との迅速性の違いはどうして出るのだろうか。


えひめ丸事故への初期対応

えひめ丸の事故【発生日時:2月10日午前8時45分(日本時間)】の第1報は、海上保安庁に午前8時47分遭難信号として受信された。
すぐに確認をしても返答はない。宇和島水産高校も休みで、事情のわかる人との連絡が取れない。
そのうち、三崎漁業無線局と連絡がとれ、同船がハワイ方面に行っていることがわかる。

午前9時17分、海上保安庁と「日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の海上における捜索及び救助に関する協定」(日米SAR協定)を結んでいる米沿岸警備隊(コーストガード)・ホノルル海難救助調整本部に遭難事実の確認を行うと、「『えひめ丸』は、ハワイ・オアフ島南で潜水艦と衝突。
沈没し、ラフトに乗員がいる模様。衝突の詳細な位置は不明。新たな情報入手次第連絡する」との応答。

そこで、海上保安庁は午前9時31分、外務省に事故発生情報の提供を行なう。
午前9時41分、海上保安庁からホノルル海難救助調整本部への問い合わせにより、次の内容を確認。
「衝突した潜水艦はグリーンビルであり、該船の情報によると、ライフラフトに少なくとも14名乗っている。潜水艦は救助不能」とのこと。
えひめ丸の乗組員は35名である。ということは、21名が行方不明ということになる。

官邸に第1報が入ったのは午前10時15分。
そのとき、森首相は戸塚カントリークラブ15番ホール、福田官房長官は群馬県にいた。
伊吹危機管理担当大臣と連絡がとれ、官邸危機管理対策室が決定した第1指示は午前11時すぎ、外務省藤崎北米局長から在京米大使館ラフルール公使に、また、渋谷在ハワイ総領事を通じ、ファーゴ米太平洋艦隊司令官に「乗船者救出のための全面的協力」を要請。
伊吹大臣いわく、「私の独断で」指示したとのこと(2月15日衆議院予算委員会)。
このときに、「原因究明」の4文字が入らなかったのが、のちのち影響を与えてくる。

在ハワイ日本国総領事館には午前10時(日本時間)に対策室がつくられる。官邸連絡室が設置されたのがその午前12時。
10日夜、外務省桜田政務官はハワイに赴く。11日、ファーゴ米太平洋艦隊司令官、ケイス米太平洋軍司令官代行、イアロー米沿岸警備隊幕僚長と、13日にはブレア米太平洋軍司令官とも会見。

ブレア氏との会見では、「救助活動に落ち度はなかった」と発言したと報じられ、大西船長にも「日米安全保障条約」を慮るようにとの圧力があったのではないかとの指摘も(毎日新聞2月14日)。
2月14日には2人の海上自衛官がハワイ現地対策本部に合流、桜田政務官をサポートした。
以後外務省が窓口となり防衛庁とともにアメリカ政府との交渉にあたった。


海上保安庁はなぜハワイに行かない?

海上保安庁は、海上保安庁法によって昭和23年に設立され「海上治安の維持」「海上交通安全の確保」「海難救助」「海上防災・海の環境保全」などを担っている。
その担任水域は、領海および接続水域ならびに排他的経済水域と日米SAR協定に基づくわが国の捜査救助区域であり、今回のアメリカの領海については担任水域ではない。
しかし、「1979年の海上における捜査及び救助に関する国際条約」では、相手国領海内でも相手国の了解があれば捜索および救助ができる。

事実、マーシャル諸島で交信を絶った漁船の捜索にも巡視船が出動するなど、海上保安庁の飛行機や船が海外の他国領海における海難の捜索救助に赴いた例は何回となくある。
とくに、洋上警察として本事故の情報初動措置に責任があり、えひめ丸遭難の第一報を受けたのは海上保安庁であり、えひめ丸の乗組員の捜索にあたったのは日米SAR協定を結んでいる米沿岸警備隊である。だが、海上保安庁はハワイ・オアフ島には行かなかった。

一方、海難審判庁は100年以上の沿革を有する。
明治9年の「海員審問」の制度化に続き、明治30年の「海員懲戒法」が施行され、海難を起こした船員を懲戒するための独立審判制度が確立。
昭和23年には海難原因の探求を目的とする「海難審判法」が施行され、現在にいたっている。

その第1条では、「この法律は、海難審判庁の審判によって海難の原因を明らかにし、以ってその発生の防止に寄与することを目的とする」と謳われている。
その管轄は、世界中のすべての水域になる。ハワイオアフ島沖は、横浜海難審判庁の管轄となる。調査・申し立て・執行を行なう海難審判理事所と審判を行う海難審判庁などから成り立つ。
このため、えひめ丸についても、海難を知ったとき報告を受けたときに、海難審判理事所は調査を開始しなければならない。

また、海難に際して「船長は国土交通大臣に報告しなければならない(船員法19条)」海外の場合は一般的に船長により在外公館を通じて海難報告書が提出されるが、えひめ丸・大西船長からの海難報告書は3月7日、四国運輸局に提出されている。
広島地方海難理事所に至るのは4月11日、その後横浜地方海難審判理事所に転送されている。

「領事官は証拠を集取し、海難審判理事所の理事官に報告しなければならない(海難法29条)」と義務付けているが、外務省およびハワイ領事館から海難審判理事所に報告はない。
海難審判理事所も、ハワイ・オアフ島に行くべきであったと考えるが行かなかった。しかも、5月15日現在、船長、乗組員への面接調査も行われていない。

しかし、「海難審判庁100年史」を紐解くと、昭和40年8月、サウジアラビアで起きた日本汽船海蔵丸の海難に1度だけ、海難審判庁職員が赴いたことがある。
つまり他国領海での日本船の海難に当たり、海上保安庁は捜査および救助で、海難審判庁は調査で、いずれもが過去に行ったことがあるので、「えひめ丸については他国領海ゆえに行かなかった」というのは理由にならない。初動時に「原因不明」の徹底ができなかったため、こうした事態を招いたのではないだろうか。


航空事故調査委員会とは

前述の「日航機ニアミス事故」で航空事故の認定が遅れた航空事故調査委員会は、昭和49年、運輸省に設置された。
運輸大臣のもと国家行政組織法第8条によるいわゆる審議会と同格の委員会である。委員数は委員長ほか4名。
これまでに就任した歴代委員長、歴代委員計27名のうち運輸省出身者が9名。旧逓信省、旧鉄道省を含めると、いわゆる運輸省関係者は15名を占める。
出身省庁に「耳の痛いことがいえるのだろうか」といわれるゆえんだ。

委員会は平成9年、三重県志摩半島上空で発生した日本航空株式会社所属ダグラスMD-11型JA8580の急上昇急降下事故など、今年4月までに1039件の報告書をまとめている。
報告書をまとめるまでの日数の平均は約250日。しかし、重大事件は時間を要するのが常で、先の三重県沖の事故報告には2年6ヶ月がかかった。

政府は今国会に、航空事故調査設置法等の一部を改正する法律案を提出したが、昨年3月の日比谷線脱線事故も踏まえ、その半年前に設置された鉄道事故検討会の取り組み状況も参考に、これまでの航空事故調査委員会に鉄道事故を加え、さらに事故(アクシデント)にきわめて近い、インシデント(安全に影響を及ぼし、または及ぼすおそれのある事故以外のできごと=ICAO第13付属書より)も対象にしようという内容である。

改正の背景には、信楽高原鉄道事件を契機に結成された「鉄道安全会議(TASK)」の10年に及ぶ取り組みがあった。


信楽高原鉄道事故の教訓

平成3年5月14日に発生、ちょうど丸10年を迎えた信楽高原鉄道(SKR)事故は、死者42名、負傷者614名に及ぶJR西日本の列車とSKRの列車の単線での正面衝突事故である。

信楽高原鉄道は、国鉄の廃止対象路線となることを受け、住民運動により昭和62年に生まれた第3セクターである。
世界陶芸祭の開催期間であった平成3年4月20日からの37日間に限定して、JR西日本が乗り入れを行なうなかで、事故が発生した。
事故発生後、結成された遺族団には事故の真相が伝えられないまま、事故報告書は平成4年12月、事故後1年7ヵ月後に運輸省鉄道局から公表されたが、わずか12ページのものだった。
その原因究明も責任の所在もきわめて限定されており、遺族団など関係者にはとうてい満足のいくものではなかった。
事故車両は記録のため残すようにとの願いも聞き届けられず、処分された。

事故報告書提出の10ヵ月後の平成5年10月、遺族団は大阪地裁に提訴。事故発生から8年後の平成11年3月に結審。
結果は、運転手が禁錮2年6ヶ月執行猶予3年、信号士2名がそれぞれ禁錮2年2ヶ月執行猶予3年、禁錮2年執行猶予3年であり、JR西日本とSKRに過失責任が認定された。

遺族団は「鉄道安全会議(TASK)」を弁護士、鉄道関係者とともに立ち上げ、米NTSBやヨーロッパではオランダなどを視察、国内でも鉄道事故調査委員会を含めた運輸全般の委員会の設立を呼びかけるシンポジウムの開催を重ねてきた。
すでにNTSBを参考に、航空・鉄道・船舶を合わせた「運輸安全基本法案」の要綱案も作成し、昨年公表している。

政府提案に対して、野党4党(民主党、自由党、共産党、社民党)は3月23日の国土交通委員会理事会に修正案を提出した。
その4項目は
(1)委員会を内閣総理大臣の所轄のもとにおく
(2)委員会を国家行政組織法第3条委員会に格上げ
(3)事故報告は事故後1年以内に行う
(4)委員会の勧告先は国土交通大臣以外に、各省の長、自治体の長、事業者などに拡大 、の4点である。

(1)は航空・鉄道事業者の監督官庁の国土交通省からの独立性の確保、そして航空・鉄道事故は国土交通省、外務省、厚生労働省、総務省、防衛庁、警察庁、など各省庁にまたがるため総合調整と強い指導力の発揮を意図したもの。
たとえば、過去10年間のニアミス報告21件のうち米軍関係は6件になるが、日米地位協定のもと米軍に対する調査はきわめて限定され、首相の強いリーダーシップが求められる。

(2)は公正取引委員会や国家公安委員会と同等の強い権限を与えるべきという意図。
(3)は過去の事故では警察や司法当局の捜査中の名のもとに正確な情報が関係者に伝わらなかったため、報告期限を決めるもの。
(4)は(1)(2)を踏まえ、関係各機関にも強い改善を求められるようにしたもの。

以上4点に、
(5)委員数は9名に増やさず、委員長ほか委員数4名のまま、
を加えた5点は私から民主党社会資本整備部門会議に法案審査担当者として提出していたものである。

結局、委員会審査を経て、共産党を除く与野党共同提案ということで(3)の「1年以内に報告が無理な時は中間報告を行うこと」という修正をもって法案は可決された。
さらに、私も国土交通委員会における質問で、「えひめ丸の経緯を踏まえ、調査委員会には船舶(海難)も加えるべきこと」も求め、これについてはその趣旨が付帯決議に盛り込まれた。


米海軍軍法会議は開かれない!

テレビをにぎわした米海軍予備審問会議。ワドル前艦長が夫人とカメラの前を手をつないで会場に入り、たびたび担当弁護士が登場。
アメリカ人は非を認めないの予想に反して、傍聴席の行方不明者の家族に近づき、謝罪を行う。

この予備審問には日本側から海上自衛隊の小澤海将補が審問会議アドバイザーとして参加している。
米海軍予備審問会議が米太平洋艦隊トーマス・ファ―ゴ司令官に提出した意見書の中身を伝える日本の新聞各紙によると、原子力潜水艦グリーンビルのスコット・ワドル前艦長と同原潜の航跡担当下士官については米軍事統一法典15条に基づく「司令官による処罰」が、前副長と前哨戒長については行政処分が妥当とし、「軍法会議によらない処罰」とのこと。
「軍法会議」で無罪になったときの日本国内の反発への恐れからといわれている。
「アドバイザーとして審議に加わっていた小澤勇・海将補も同意した(『読売新聞』4月19日)」という報道も。

一方、「この事故は前艦長や乗員が、あまりに安全を軽視した結果といわざるを得ない。勧告通りの処分となれば、大事故の決着としてふさわしいかどうか疑問は残る」(『朝日新聞』4月19日)」との指摘。

日本時間4月23日午前、ファーゴ司令官はワドル前艦長らの司令部への出頭を求め、とくに、前艦長には「司令官処罰」「名誉除隊」を伝えた。
刑事責任を問うための起訴を行なわず、軍法会議は開かれない。
結局、真相究明は米NTSBの分析結果に委ねるしかないのか。


米国家運輸安全委員会に学べ

米国家運輸安全委員会(NTSB)とは、アメリカ大統領から任命を受ける委員長と4名の委員、そして約400名のスタッフで構成され、年間予算も約79億円(2001年度予算)。
その扱う分野は、航空、鉄道、船舶、ハイウエイ、パイプラインと多岐にわたる。

生い立ちは1966年にさかのぼる。当初は運輸省に所属。
しかし運輸行政に物申さなければならないとの問題意識から、1974年には「独立安全委員会法」により運輸省から切り離され、大統領直属の委員会に。御巣鷹山の日航機墜落事件のときも来日し調査を行っている。
今回は、NTSBのハマーシュミット委員が青いつなぎを身にまとい、事故発生後から何度となく記者会見を行った。

原則として、NTSBは事故発生後速やかに証拠保全と事情聴取に動き、その後ワシントンに戻り、事故の原因究明と再発防止の分析に取り組み、その結果を公表する。
そのため、当初マスコミに登場した委員はパタッとテレビに出なくなる。分析に入ってからは世間の予断を避けるために、分析が終わり、勧告内容が決まるまでは情報を漏らすことはないとされる。

衆議院国土交通委員会で提起した国家行政組織法第3条による組織は「独立行政委員会」と呼ばれ、準司法的、準立法的権限を有する。
同8条機関も「所掌事務につき相当の独立性が与えられてはいるが、その決定は上級機関を法的に拘束するものでないのが通例である」(『ジュリスト』1999,6、8)」。
行政改革会議はその最終報告で「行政委員会を『公正中立性や専門技術性等』の必要から評価し、現行の諸委員会を存置する」方針を打ち出すとともに、「政策の企画立案機能と実施機能の分離という理念のもと、行政委員会を実施機能の分離・充実の観点から活用・新設する」展望を示している。

これまでは平成4年設置の証券取引等監視委員会や平成7年設置の地方分権推進員会、平成11年のJCO審議における原子力安全委員会など3条機関の設置が求められたが、8条機関に留まった。
このように、第3条による独立行政委員会の数を制限しているが、今後は増設を認めるべきであろう。

同じく附帯決議にその趣旨が盛り込まれた、航空・鉄道事故調査委員会に船舶(海難)を含めることは、昭和24年5月の国会で海難審判庁の調査部門である理事所を海上保安庁に移した経緯(昭和27年海難審判庁に戻す)がある。
あるいは、3条機関である海難審判庁に航空・鉄道事故調査委員会を統合することも考えられる。


いまだ「危機管理」は機能せず

阪神大震災を教訓に内閣総理大臣が強いリーダーシップを発揮して「危機管理」にあたることが必要ということで改革が進められてきた。
たとえば、平成8年5月には情報集約センターを設置し、4名・5チームからなる24時間体制を敷いた。
また、平成10年4月には内閣危機管理監や内閣官房内閣安全保障・危機管理室が設けられている。

しかし、今回の「えひめ丸」事故を見るきぎり、それらの機能はまだ発揮されていない。
その理由の一つは、いまだ情報収集の改善に留まっている点。
2つ目は内閣は各省(長は大臣)の寄せ集めで、内閣総理大臣および内閣官房、そして内閣府の権限が十分ではないという点。
これは、行政改革会議の事務局長を務めた水野清氏が「内閣府に強力な企画・立案部門を与えなければならない」(『日本経済新聞』平成13年1月7日)と指摘している。
また、危機管理担当大臣の権限が不明確である点は、伊吹前大臣も触れている。

佐々淳行元内閣安全保障室長は、「今回の事故で明らかになった行政改革後の危機管理指揮系統の混乱と責任所在の不明確さを総点検して、神経組織の縫合を行なうことであろう」と述べている。
実際、今年1月6日の時点で内閣安全保障・危機管理室はなくなり、内閣官房副長官補が担当。
また、小泉内閣では、危機管理担当大臣もなくなり、官房長官が担うことになった。いまだ試行錯誤が続いている

平成10年2月、米軍ジェット機によるイタリアのロープウエー・ゴンドラ落下事件は、「過失致死罪」により起訴相当として軍法会議は開かれた。
軍法会議が開かれれば、「真相究明と再発防止」とともに「軍事司法制度の矛盾」も明らかになる。
なぜ、えひめ丸が「司令官処罰」で終わったのか。日本政府、外務省はなぜいうべきことをいわないのか。

外務省に対して首相の指導力を発揮できない理由は、依然、首相の権限の強化ができていないからか。あるいは、強化された権限を生かしきっていないからなのか。
一部、民事提訴という報道もあるが、裁判の国のアメリカには裁判で広く世論に訴える方法をとることも選択肢のひとつではないだろうか。
国内外の世論喚起として内閣および外務省の姿勢も問われる。わかりやすい例として、災害時、救急時の医療体制を取り上げる。

阪神大震災発生当日の平成7年1月17日、ヘリコプターで運ばれた患者はたった一人であった。
ドイツと比較すると、ドイツのヘリコプター1機あたりの出動回数は日本の約60倍である。なぜ、こうした差が出てしまうのであろうか。

救急医療でも、平成7年と平成11年を比較すると、現場への到着時間は6.1分が6.0分とほぼ変わらないのに、病院への到着時間は24.2分が27.1分と約3分延びている。
患者を乗せても受け入れ先の病院が見つからず、連絡を取るのに時間を要するからといわれている。
受け入れ側の病院の管轄は厚生労働省、患者を運ぶ側の救急車は制度上総務省(消防庁)、実際は消防署すなわち市町村消防本部。ヘリコプターは地方自治体、海上保安庁など。
推測するに、患者を運ぶ側と患者を受け入れる側の連携がうまくいっていないのではないだろうか。
すなわち、縦割り行政の弊害があるにもかかわらず、放置されたままといわざるをえない。

国民の身体・生命・財産を守るのは国家の責務である。その責務を担うべき行政とその中心にある内閣と、立法府である国会がその最低限の責務を果たせていない。
その訳は、内閣と国会の緊張関係(チェック・アンド・バランス)が機能していないからにほかならない。
すなわち、内閣の縦割り行政を正すはずの国会が「族議員」化して機能せず、それに甘んじて、内閣(行政)も開示すべき行政の実態を開示しない。

独立行政委員会について、その強化は行政および内閣の権限強化につながり、立法府の力を弱めるという議論がある。
それに対しては、準司法的、準立法的な行政の領域ゆえに、議院内閣制のもと、政治的中立性を保証できること。さらに司法制度改革から何でも司法に任せず、行政審判庁構想のように、行政審判の充実で補完すべきこと。ゆえに、独立行政委員会制度が必要と考える。
また、1月6日の省庁再編に合わせて、内閣法第4条が改正され、いままでたんなる閣議の司会者にすぎず、他の閣僚と同格にすぎなかった内閣総理大臣に、閣議における「発議権」が与えられたが、この発議権があらためて使われたとは聞かない。
また、閣議(懇談会含む)時間は平均30分とも聞く。さらに第6条改正により「全会一致原則の閣議を経ずとも首相が行政各部を指揮監督できること」は見送られている。

重ねていえば、えひめ丸事故の原因究明と再発防止は、外交関係を重視する外務省ではなく、首相のリーダーシップで行なうべきこと。
航空・鉄道事故調査委員会には、船舶(海難)を含めること。そして、国会の国政調査権の強化により内閣、行政との緊急関係を高めるべきことを痛感する。

5月6日、米海軍によればえひめ丸引き揚げは今夏後半との報道に接し、全国73の地方議会からの意見書(5月17日現在)を踏まえ、このまま見逃し、風化させては宇和島水産高校の生徒をはじめ関係者に対してとても申し開きはできないと考える。

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