たけまさの歩み 衆議院議員第2期

2003年11月
衆議院議員2期目スタート
埼玉県第1区より117,587票の支援をいただき2期目スタート。
「二期目のジンクス」と「選挙区の半分以上が新しくなる」という厳しさにもかかわらずご支援を受けた重みを肝に銘じ、「たけまさ公一への期待」をしっかりと受け止める。
2003年12月
外務委員会理事就任
12月11日両院議員総会が開かれ新人事が了承される。
武正は、「外務委員会理事、財務金融委員、事態対処特別委員、憲法調査会委員」 「国対副委員長、役員室次長」となり、国対以外は新しい分野への取り組みとなる。
2004年1月
代表質問に立つ
予算案に対する代表質問に当選1回ながら抜擢される。主に内政問題を中心に小泉首相へ。合計25分。
再質問の時間も考慮。再質問は「雇用」「年金」「高速道路」。
それぞれ「首相の指導力」「支給額50%は可能か」「債務は拡大するのではないか」と問うも、のれんに腕押し。
2004年5月
岡田丸の船出
5月18日手塚仁雄、馬淵澄夫、津村啓介各代議士とともに岡田克也幹事長の代表選立候補届けを中央代表選挙管理委員会に提出、無事受理される。総会では、代表選出の承認が拍手をもって行われる。菅前代表の挨拶につづき、岡田新代表の挨拶。感慨深い。力強く、政権交代を訴える。
2004年12月
温家宝首相と会談
12月13日から 松下政経塾出身の国会議員による超党派の会「未来政治研究会」で中国を訪問。団長を武正、他10名の国会議員による訪中団。
外交と内政干渉の境について、中国指導者に日本の立場、考え方を伝えるには様々な工夫が必要なこと、外交は内閣の専権事項であるため、国会の役割、とりわけ野党の発言が肝要である、という思いを新たにする。
守るべきものは守る、したたかな外交の一助となるよう、取り組んでいきたいと強く心に誓う。
2005年3月
民主党埼玉県連幹事長に就任
代表には枝野幸男衆議院議員。細川律夫前代表からのバトンタッチ。
武正は、政治スクールの開講・地方議員候補者の公募・災害ボランティア活動などを掲げるとともに、上田知事の埼玉からの改革を応援することも宣言する。枝野・武正体制がスタート。
2005年8月
衆議院解散
8月8日午後1時から参議院本会議。賛成・反対討論後、記名採決。賛成白票108、反対青票125、事前から予想されたように否決。与党党首会談で9月11日投票決定が流れる。臨時閣議が予想された時間よりかかったのは解散に反対する閣僚がいたため。農水大臣は罷免。午後7時衆議院本会議が開会。内閣不信任案の提出動議がされ議題に取りあげられたものの議長後ろの扉が開き、紫の房に包まれた詔勅が登場。河野議長が朗読。憲法第7条により衆議院を解散する。ワンテンポ遅れて与党がバンザイ。さらに2テンポ遅れて民主党がパラパラとバンザイ。代議士会で激がとび、いざ選挙区へ!沖縄ビジョン改訂
沖縄ビジョン改訂版の発表のためWT座長として那覇へ。くしくも、普天間基地所属米軍ヘリ墜落事件の日から1年目となる日。
3年間の環境変化を踏まえ、第三次沖縄振興開発計画の進捗も考慮し、新たなメンバーを加えたビジョン協議会を立ち上げ、その議論を踏まえ改訂したものを発表。