国会議事録 衆議院本会議及び委員会での質問記録

2006/08/29
【沖縄北方特別委員会】初期対応の不備つく 漁船拿捕事件で

 衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会が29日午後開かれ、民主党・無所属クラブの最後の質問者として武正公一議員が立ち、ロシアのよる日本漁船銃撃・拿捕事件に関して官邸の初期対応の不備を鋭く指摘した。

 冒頭、武正議員は16日の事件当日、小泉首相と安倍官房長官が休みだったことを確認、何故、官邸に情報連絡室が設置されただけで、官邸連絡室に格上げされなかったのかを質した。長勢官房副長官は、「外務省で対応できる。結果として適切に対応できた。各省庁の連携はとれていた」と答弁。このため、武正議員は、関係省庁は外務省、海上保安庁、農水省と多く官邸連絡室に格上げして、各省庁連携をとって対応すべきだったと批判した。

 次に、ロシアの外相とはいつ連絡がとれ、抗議したのか、その時ロシアのラブロフ外相は陳謝したのかを武正議員は質問。麻生外相は昨日21時50分と答え、それまでロシア外相は休みだったとした。また、その時の電話でのやりとりでは、陳謝はなく、哀悼の意が表明されたことを明らかにした。

 武正議員は、「休みでも電話連絡はとれるのではないか」として、政府の対応を批判。これに対して、麻生外相は「そのために大使がいる」として、臨時大使を当日2回にわたり、外務省に呼びつけ抗議したことで足りるとの認識を示した。

 武正議員は、現時点で情勢に何ら変化はなく、乗組員、船体も戻っていないとして、さらなる政府の対応を求めた。

 最後に、今年の貝殻島付近での昆布漁の操業開始の遅れ、ロシア警備隊からの取締強化の連絡など、事件の予兆はみられたと武正議員は指摘。その上で、「領土問題解決に取り組まず、2島返還でよしとしたような5年間の小泉政権の対応が今回の事件の背景にある」と批判して質問を終えた。   (民主党ホームページより転載) 

沖縄北方特別委員会会議事録

武正委員
 民主党の武正公一でございます。

 きょうは、質問の機会をいただいたことに感謝を申し上げます。

 まず、十六日、北方領土海域において銃撃、拿捕され死亡した盛田光広さんに哀悼の誠をささげ、御遺族に心からお悔やみを申し上げる次第でございます。

 そこで、きょうは長勢内閣官房副長官もちょうどお見えいただいておりますので、まず、十六日の事件発生後、首相及び官房長官、そして官邸、内閣官房はどのような行動をとったのか。とりわけ、総理、官房長官がこの事件についてコメントを公式に行ったのはいつか。また、日本漁船の被拿捕に関する情報連絡室を立ち上げた後に、これを例えば官邸連絡室への模様がえあるいは官邸対策室への格上げを行ったのかどうか。以上三点についてお答えをいただけますでしょうか。

長勢内閣官房副長官 
官邸の対応という御質問でございますが、八月十六日午前九時に海上保安庁から事案に関する第一報があった後、九時三十分に官邸危機管理センターに日本漁船の根室沖被拿捕事案に関する情報連絡室を設置いたしました。

 これらの状況は総理大臣及び官房長官に逐次御報告を申し上げておったところでありまして、総理及び官房長官からは、情報収集に努めるように、その事実関係を十分に確認して、それに基づく適切な対応をするようにという御指示があったところでございます。その指示に基づきまして、外務省、海上保安庁及び水産庁、この事態の把握に努めるとともに、外務省において、あらゆるレベルでロシア側に抗議あるいは申し入れというものを行ってきたところでございます。

 この事案については、それぞれ適切な対応がとられておると思っておりますので、いわゆる対策室の設置はいたさないでおります。

 これについて総理あるいは官房長官から何かコメントがあったのかという御質問でございますが、十六日夕方に、外務大臣から日本政府としての立場を明確に対外的にも発表いたしておりますので、特段の官邸としてのコメントを発表ということをする必要はないというふうに判断いたしておりましたので、その時点でのコメントの発表というものはなかったと思っております。

武正委員 
その時点ではなかったんですが、その後、首相及び官房長官がコメントを公式に出されたのは、いつ、そしてどのようなコメントだったか、お答えいただけますか。

長勢内閣官房副長官 
内閣総理大臣におきましては、八月二十四日に行われたぶら下がり会見において、亡くなられました盛田さんの御冥福をお祈りするとともに、残る三名につきまして早期解放を求めるという旨の発言をいたしております。

 また、官房長官においては、二十五日の官房長官会見において、これまでのロシア側に対する抗議、申し入れ等についての経緯、並びに、残る乗組員三名の一刻も早い解放の実現に向けた最大限の努力を継続する旨の発言を行っております。

武正委員 
それぞれ、十六日から八日あるいは九日たって、首相そして官房長官、公式なコメントを出されていたということで、私は、今回の事件のやはり初動の危機管理体制に問題があったのではないのか、こういった趣旨で今回質疑をさせていただこうと思っております。

 そこで、先ほど十六日、実は十六日から首相及び官房長官はお休みに入っていたという報道がありますが、これは事実でしょうか。

長勢内閣官房副長官 
ちょっと今正確には覚えておりませんが、十六日は、総理、官房長官、お休みでございました。

武正委員 
そこで、報道では、長勢副長官が首相秘書官を通じて首相に報告をした、そして、それに対して首相が、私からもロシア側に申し入れをすると、これは日経の夕刊で報じられているんですけれども、このようなことが、お答えが総理からあったんでしょうか。

長勢内閣官房副長官 
逐次、状況は総理、官房長官に御報告いたしておりますが、先ほど申しましたように、事実関係を十分に確認をして適切な対応をするようにという御指示はいただいておりますが、総理御自身から申し入れをするという御指示があったことは伺っておりません。

武正委員 
そうすると、この報道は間違いということかもしれませんが、二十四日にも、これも報道で、人道的見地からも早く釈放するよう申し入れている、こういうような総理のコメント、ぶら下がりでありますので、ここら辺が一つ符合するのかなと。ただ、総理が、みずからロシア側に申し入れをするといったところは、言っていないというような今お答えというふうに理解をいたしました。

 さて、初期の段階で情報連絡室を立ち上げているんですけれども、ことしに入ってこの情報連絡室というものが官邸にできるようになりました。過去三回つくられておりますのは、梅雨前線の大雨に関する情報連絡室、英国における航空機爆破テロ計画容疑者逮捕に関する情報連絡室、首都圏における広域停電に関する情報連絡室、こういった形で情報連絡室がつくられているんですが、そのほか、御案内のミサイル発射、これはもう当初から官邸対策室ということで、情報連絡室と官邸、まずは官邸連絡室、この違いというものがあるわけなんですけれども、私は、なぜこれを少なくとも官邸連絡室にしなかったのか不思議でならないわけでありますが、官房副長官、お答えをいただけますでしょうか。なぜ情報連絡室で、官邸連絡室ではないのか。

長勢内閣官房副長官 
その都度、状況に応じて適切な対応をするための方策として、対策室をつくったり情報室をつくったりということになっておるわけでありますが、今回に関しては、外務省あるいは保安庁等々において適切な対応ができる、またしていただいておるという状況でございましたので、対策室まで設ける必要はないというふうに判断をしたところでございます。

武正委員 
対策室じゃなくて、連絡室には二つある、情報連絡室と官邸連絡室と。その上に官邸対策室がある。三段階なんですね。

 私もこれは聞いてみましたら、情報連絡室というのは、ある面、一、二省庁で十分対応する、今のお話で言うと外務省で対応できる、こういうような判断をされたと。三省庁以上にまたがる、省庁間のかなり連携をとらなきゃいけない、これが官邸連絡室である、こういうようなことを内閣官房から説明を受けたわけでありまして、私は、やはりこの初期の段階、ちょうどこのときは長勢副長官、二橋副長官が、先ほど言われたように首相と官房長官が休みだったものですから、官邸で対応に当たったわけですが、この情報連絡室を立ち上げよう、この判断はだれが行ったか。副長官がそれを行ったんでしょうか。お答えいただけますか、副長官の方から。

長勢内閣官房副長官 
その時点では、危機管理監の方でそういう判断をされて、至急に、緊急にその措置を講じたということであります。

武正委員 
これは、以前から官邸の危機管理体制が、危機管理監がさまざまなハンドリングをしていて、そこに総理や官房長官、官房副長官が絡んでいない。これはもう累次、当委員会やあるいは関連委員会でも指摘をしてきたわけでありまして、今のところからも、私は、やはり初動の段階で、官邸として、少なくとも官邸連絡室と、関係省庁を挙げてこれは取り組もうと。五十年ぶりにと言ったら大変語弊がありますが、死者を出した大変痛ましい事故である。当然、きょうは農水副大臣もお見えですが、関連省庁はたくさん絡むわけですので、私はここがやはり問題であったというふうに考えますが、速やかに、少なくとも官邸連絡室への衣がえが私は必要だと思いますが、これはいかがでしょうか。

長勢内閣官房副長官 
おっしゃるような体制でしたということは報告をいただいて、その後の状況を見て適切に対応されておるということでありましたので、その形で、今結果としても適切に対応されていると思っております。

 先ほど、お役所の方からの説明の御紹介がございましたが、そういう形式的な問題もありますけれども、関係省庁を一堂に集めてやる必要があったかどうかというのは、その場合場合でありますので、今回については、外務省、保安庁等において、十分な連携のもとに連絡をとって、適切な対応をやってきたと思っております。

武正委員 
私は、その連携がとれていないということをこの後指摘をさせていただきたいと思います。

 もう既に外務大臣から、この十六日、外務省そして外務大臣がガルージン臨時代理大使を呼びまして、抗議あるいは申し入れをした。内容については触れていただいておりますので、きのうの質問までは、なぜラブロフ外務大臣に電話で抗議しないんですかと、こういう質問をしようということで通告をしていたんですが、けさテレビを見ましたら、きのう電話をしたというニュースが流れていましたので、ここで先ほどの前半の二つはお聞きをしませんが、昨夜何時にラブロフ外務大臣に電話をされたのか、そしてどういう話をされたのか、外務大臣、この点についてお答えいただけますでしょうか。

麻生国務大臣 二十一時五十分ぐらいです。それが向こうが連絡をとれ合う時間でしたから。これは、ずっと休みでしたので、だからとれなかったというのが実態です。これまでおりませんから、塩崎外務副大臣がモスコーに行ったときにもラブロフはモスコーにいませんでしたのでというのが、先ほど塩崎さんおっしゃいませんでしたけれども、それが実態であります。

 金田副大臣を送ることにしておりますけれども、これには、きのうラブロフには、金田を送るからこれと会って話をしてもらいたいという話はラブロフにきのう申し込んでおります。

武正委員 
昨夜の電話でどのようなことを申し入れたのか、抗議をされたのかを御開陳いただきたい。

麻生国務大臣 
少々長くなりますけれども、日本としては、今の置かれている状態についてよく在日ロシア大使館から情報を得ていると思うが、今回の日ロの関係全般のために大きく影響が出る可能性がある、したがって、一刻も早く乗組員三名と船体の解放の実現というのがこの日ロ関係を悪化させるのをとめる最大の手段だ、即解放するということが重要ではないか。それが一点目です。

 二点目。このような痛ましい事件というのを繰り返さないためには、いわゆる未解決の領土問題というものがあるので、日ロ双方受け入れ可能な解決策を見出すべくということは、プーチン・小泉会談で、ことしの七月、去年の十一月、二回にわたって行われているので、この点について取り組んでいくことが必要。

 三点目。また、現状においては、先ほどから何回も話が出ています、九八年の北方四島周辺水域操業の枠組み協定というもの及び八一年の貝殻島の昆布の協定、これは民間協定ですが、この既存の漁業協力の枠組みというものを引き続き堅持する、これらのもとで、いわゆるその協定のもとで安全かつ安定的な操業を、円滑に操業し続けることが重要で、引き続き日ロ間でよく話し合っていきたいという話をしております。

 もちろん、この大前提としては、日本漁船に対する銃撃、拿捕というものに対して我々の立場を申し述べた、これは大前提ですよ。そこは飛ばしておりますので。

 これに対して、ラブロフの方から、改めて本件に関して遺憾の意とともに、亡くなられた乗組員及びその家族に対する哀悼の意を表明、向こう側が。その上で、以下のとおり言っております。

 乗組員及び船体の解放については、ロシア側としてもできるだけ迅速に解決すべく外務省として努力する。これは、今所管が外務省じゃなくなってきていますので、これは法務省とか検察庁ということになろうと思います、向こうの法律になっておりますので。したがって、ロシア側の手続が早期に終了し、日本に伝えることができることを期待している。船長と二人の乗組員の間では今回の事件への関与に差があると考えている。

 二番。領土問題と今回の事件を関連づけることは必ずしも適当ではない。これは向こうのロシアの、ロシアの領土は自分の主権だと言っておりますので、そういうことになっております。既存の漁業の枠組みに基づく日ロ協力というものは、両国の信頼関係の構築のため重要な要素であると考えているので、引き続き維持発展をさせていきたいということについては合意。

 再発防止に対して日本側の努力を求めるということでしたので、私の方から、領土問題に関しては我が方の立場があるというのは改めて指摘をした上で、日本漁船に対する銃撃、拿捕が繰り返されるということがないよう、ロシア側も最大限の自重と抑制をもって対応すること、及び、いずれにしても乗組員三名と船体の一刻も早い解放というものが両国間のために極めて重要という、大まか、大体そういうことです。

武正委員 
ラブロフ外務大臣は、外務大臣の抗議に対して陳謝をされたんでしょうか。あるいは、ガルージン臨時代理大使を外務省に呼んだときも、ガルージン臨時代理大使は陳謝をしたんでしょうか。お答えをいただけますか。

麻生国務大臣 
いずれも、死亡者が出たということに関して哀悼の意が表されたというのが正確な表現だと思います。

武正委員 
陳謝はしていないということでございます。

 そこで、副大臣にちょっと質問を用意しておったのは、モスクワでだれに会って何を話したか、なぜ外務大臣と面会できなかったのか、そういうようなことでありましたが、今、麻生大臣からお答えがありました。

 ただ、お手元に資料、きょうは委員長、理事会のお許しを得てお配りしておりますように、副大臣がお会いになられたのはアレクセーエフ外務次官ということで、外務大臣でもなければ、デニソフ第一次官でもないということでありまして、私はやはり、外務大臣が万が一会えないのであれば、デニソフ第一次官であってしかるべきと。先ほど、たしか、農水副大臣が武部幹事長と会ってこられたのがデニソフ第一次官ということでありますが。

 そこで、外務大臣、もう一度お聞きしたいんですが、ロシアは外務大臣がお休みかもしれませんが、電話ぐらい通じますよね。なぜ、きのうの夜二十一時半に電話をされて、十六日、この事件が起きてすぐ抗議の電話をしなかったんですか。お答えをいただきたいと思います。

麻生国務大臣 
私どもとしては、そのために大使がいるんだと思っております、基本的に。その大使がいなかったんですから。したがって、普通、この種の話は次官をもって大使を呼ぶというのが通常です、この種の話の場合。次官を呼んで、大使がいない、したがって大使の代理が来た、臨時代理が来たということです、日本でですよ。

 私どもとしては、その第一報を、向こうから今回は来ていますから。したがって、それを受けて、八時過ぎに向こうから第一報が入ってすぐ大使を呼んだんだと思いますが、その後、私の方から、外務大臣が臨時代理大使を呼ぶということでも、極めて、今までだったら通常じゃ考えられないことだと思いますが、呼んで抗議をしておると思っております。したがって、その意は十分に向こうに伝わった。二回も外務省本省に呼びつけられるなどということは過去に例がありませんから、そういった意味では、強い意は伝わったと思っております。

武正委員 
二十三日、外務委員会理事懇談会も開きまして、野党理事からは外務委員会閉会中審査も求めておりますが、そのとき、外務委員長名でロシア外務大臣並びにロシア国会の外務委員長あての抗議文をガルージン臨時代理大使を呼んで手渡しました。

 ガルージン臨時代理大使、先ほども、民主党にも来ております、何度足を運んでいるでしょうか。しかしながら、依然、今の状況は、この三名の乗組員そして船体、これは戻ってきません。こういう状況、変化がない。情報は一方的にロシア側から寄せられている。それをうのみにするような発言が先ほど外務大臣からあったのは、極めて遺憾であります。

 そこで、農水副大臣、おいででございますが、貝殻島の昆布漁、資料二ページを見ていただきますと、ことしの出漁予定日六月一日に対して、六月二十九日までその出漁が延びた。この理由、「備考」にちょっと理由が書いてありますが、なぜ延びたんだろうか。外務委員会でも、国内視察で北海道に行ったときにも、道庁関係者からも漁業関係者からもこの話が出ました。なぜ、毎年出漁がすぐできるのに、ことしがこれだけ延びたのか。この理由について、農水省としてどのように把握をされてますでしょうか。

宮腰副大臣 
本年の貝殻島昆布操業につきましては、我が国漁業者は例年どおり六月一日からの操業開始を希望しておりましたが、協議の妥結は六月の二十一日、実際の出漁は六月二十九日となり、二十八日もの操業遅延が発生をいたしました。

 遅延の理由といたしましては、ロシア政府内部の手続のおくれが原因であるというふうに考えております。今回モスクワに行きましたときにも、農業大臣並びに外務大臣等々から、二〇〇四年の新たな漁業法の制定とそれからこれまでの仕組みと調整が必要であるといった意見も行政の内部にあるということから、手続のおくれが発生をしたということだと聞いております。

 その間、ロシア側に対しましては、早期に協定を締結し操業が開始できるよう、外交ルートを通じた働きかけに加えまして、農林水産大臣及び外務大臣から直接書簡を発出するなど、さまざまな働きかけを行ったところであります。

 今後、早期に交渉を開始し操業が遅延することのないように、ロシア側に対し、外交ルートを通じ、さまざまな働きかけを行っていくこととしておりまして、今回の訪ロでも、私からも、ゴルデーエフ農業大臣及びデニソフ外務次官などに対し強く申し入れを行ったところでございます。

武正委員 
実はやはり、今回の事件の何となく予兆というものが、私は、今回この昆布漁の締結がおくれたというところにも見え隠れするのではないかというふうに思っております。

 八月十一日には、北海道根室支庁産業振興部水産課長名で市内各漁協参事あてにも、ロシア千島国境警備隊から、七月下旬から八月上旬にかけて、調整規則ライン以東の海域において違法操業、これについて取り締まり強化、こういった文書も出されているということで、先ほど外交ルート、外交ルートというお話がありましたが、私は、やはり関係省庁がそれぞれロシア側のカウンターパートに対してもっともっと強い働きかけ、あるいはさまざまな情報共有というか情報交換、これはもっともっと進めていいんじゃないかなと。そういう意味では、今回の官邸で連絡室がつくられずに情報連絡室で外務省ひとりに頼るということ、ここにやはり問題があるというふうに感じざるを得ません。

 そこで、先ほど外務大臣からは、いやロシアから情報提供あったよというお話でしたけれども、午前三時四十五分の事件が、連絡があったのは午前八時ですよ。サハリン時間で午前十時ですよ。遅いと言わざるを得ないですよ、これは。そういったところも含めて、私は、断固たる抗議が初期の段階で政府を挙げて行われていない、このことを改めて指摘すると同時に、きょうは国土交通副大臣もお見えでございますので、海上保安庁さんが御遺体の引き取りにも行かれて大変御尽力をいただいております。

 海上保安庁が、先ほど外務大臣からもありましたように、ロシアの国境警備局と、お手元の資料にあるような、当時の荒井長官そしてトツキー大将との覚書が交わされて、この間、日ロの長官級会合そして合同訓練が行われているのは御案内のとおりであります。

 ただ、しかし、長官級会合は、二〇〇〇年の三回、その後、二〇〇一年ゼロ、二〇〇二年一回、二〇〇三年一回、二〇〇四年、二〇〇五年はゼロ、そしてことし一回。合同訓練は、二〇〇〇年ゼロ、二〇〇一年一回、二〇〇二年一回、二〇〇三年一回、その後ずっと一回ずつということでありますので、やはり途中二〇〇四、二〇〇五、この長官級会合が開かれなかったということで、必ずしも毎年同じように行われていたわけではありませんが、ただ、しかし、そうしたカウンターパートのパイプがあるわけですので、私は、海上保安庁がもっと情報収集、あるいはそれこそ船の調査、捜査、こういったものを積極的に行うことはできないのか、このように考えるわけですが、国土交通副大臣の御所見と、それについて外務大臣としてどのように考えられるのかをお伺いさせていただきます。

松村副大臣 
お答えいたします。

 海上保安庁におきましては、既に関係者からの聞き取りと所要の調査を進めているところでありますが、いずれにいたしましても、第三十一吉進丸の乗組員及び船体の返還、帰還を待ちまして、事実関係の調査を行うと承知しております。

 ただいま御指摘の覚書でございますが、これは、先ほど配られました資料によりましても明記してありますとおり、薬物、銃器の不法取引の取り締まり、密航の防止、不審船の識別と拘束に際しての支援、汚染取り締まり、汚染防止といったことについての覚書でございます。

川内委員長 
外務大臣はいいですか。

武正委員 
いいです、ちょっと時間も参りましたので。

 要は、海保がもっともっと積極的にできるんだと。かつて、昭和二十九年六月二十九日、サケ・マス漁船三笠丸がソ連領海の新知島、ここで座礁したときに、領海内に入ってその調査、捜査を行っている、こういった事例もあります。

 今回、国後島に船が行き、そして乗組員が行っていますので、これは、ここに行っていろいろ捜査、調査するのが難しいとすれば、例えばサハリンに、それこそあそこには総領事館もあるわけですから、サハリンでいろいろできないか、そういう申し出だってできると思うんですね。

 いろいろな取り組みが私はまだまだできるというふうに思っておりますので、今回、先ほど言ったように、政府を挙げての取り組みとともに、先ほど仲野委員も指摘したように、私は、やはりこの五年半、現内閣が領土よりも経済、四島よりも二島というような誤ったメッセージを与え続けてきたことが、特にイルクーツク会談がその発端だというふうに思いますが、これが今回の銃撃事件の背景ではないかという指摘、これはやはり当たっているのではないかなということを指摘させていただいて、質疑を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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